南方熊楠資料研究会による南方熊楠邸(同保存顕彰会・田辺市教育委員会文化振興課内)所蔵資料の調査作業及びこれに関連した南方熊楠資料研究会の活動の記録を掲載しています。
《ミナカタ通信》20号 (2001. 5.23) 掲載
【春の調査の概要】
日程 2001年3月27日より31日まで、調査時間は9時から6時まで。
3/26 標本類の調査及び標本目録についての打ち合わせ(南方旧邸 土永浩史・知子、後藤伸・岳志、原田、安田)
3/28 『熊楠研究』第三号合評会(南方旧邸、司会:安田)
3/29 目録作成のための話し合い (田辺市役所内会議室)
3/30 「翻字の会」打ち合わせ(小岡、杉中、中瀬)
顕彰会事務局との話し合い(田辺市役所内会議室)
平成13年3月31日午前9時〜10時 於南方熊楠邸
報告会参加者:飯倉照平,中瀬喜陽,松居竜五,原田健一,武内善信,小峰和明,川島昭夫,千本英史,横山茂雄,安田忠典,志村真幸,趙ウネ
和古書(061〜071と076の棚)の調査を継続中。ほぼ終了。最後の方は熊楠の学生時代の教科書類、版本形式のものであった。
熊弥や文枝の教科書類はどのように扱うか。→今回発見された昭和21年作成(作者不明)の蔵書目録を参照する。これはかなり正確なもの。データベース化はできないか?
和本形式の雑誌をどのように扱うか。あるいは和綴じでもかなり年代の新しい(大正期以降)活字本がある。これらはどのように扱うか。
今回発見された末吉安恭からの来簡によって『球陽』が南方邸に送られた経緯が明らかになった。南方の依頼に対して末吉が「2部持っているから1部進呈する」ということで送られたものであった。結果的に南方の『球陽』が戦災を免れた。
今回発見されたなかには版本(幕末の版)の『名所図絵』がいくつかあり、かつての田辺を知るための資料としても価値があるかもしれない。
従来のデータベースでは不完全であった採寸について、今回ですべて終了した。現在脱漏がないかのチェックを継続中であるが、基本的には今回で書庫の中で行うべき調査は完了した。
今後は、川島が調査カード(約1400件分)を整備し、それをもとにしてデータベースのフォームを決定する。
この洋書データベースは「洋書目録」として刊行される見込みであるが、現時点では雑誌や抜き刷りが一部含まれている。あるいはカタログなど蔵書にあたらない物も相当数ある。これらは「目録」からは除外すべきであろうし、その他印刷物として刊行する際の情報の範囲を決定しなければならない。
和書同様、常楠や熊弥の署名のある本をどのように扱うべきか。作業が進んでいるので決定してほしい。→あくまで「南方熊楠邸」の蔵書目録であるから、熊楠存命中のものと断定できるものに関してはすべて含めてやっていくべきでは? それに目録から削除する機会はまだ十分にあるので、とりあえずすべて含めたうえで注記を整備しておくこととする。
現在作業は遅れ気味である。今後集中的な人員の投入が必要である。
岡本蔵書の中に熊楠蔵書が紛れ込んでいる可能性があるので、再調査が必要。
雑誌については今後膨大な作業が必要と思われる。
新たにチームを組んでみてはどうか。人海戦術を用いるのが効果的ではないか。
一案として、南方邸所蔵品目録の一括刊行ではなく、随時刊行として、雑誌目録については研究所開設以降に出版することにしてはどうか。開設時の一括出版に間に合わせるには大変な労力を要すると思われる。しかし、雑誌に関しては、蔵書目録ほどの精度は必要ではないとも考えられる。
洋雑誌:"N&Q" については、熊楠論文掲載号は選別されていた。"Nature" はその作業が中断された形跡がある。今後精査が必要。
和雑誌:ある程度の選別は行われている。『太陽』『日本及び日本人』『郷土研究』など。しかし雑誌以外のものも含まれているなど、今後精査が必要。
当面の作業としては、現有のデータベースと現物との再照合が必要。以前に作られた目録ノートと照合して遺漏をチェックする必要もある。書き込みも多いが、これを単行本同様にチェックしてゆくとなるとかなりの作業となる。また資料の痛みも酷く、十分配慮した調査が必要であると思われる。
記念館所蔵分の雑誌についても再調査する必要があるのではないか。
今回の調査で、取り壊し予定の借家から3500通以上に及ぶ大量の来簡が発見された。その整理のために予想外の労力を割かれた。
小畔、上松からの書簡については年度別に点数を数えた。小畔や上松からの来簡によって粘菌関係の通信教育の様子が詳しくわかることになるはずである。
古田幸吉、南方常楠からの来簡についても年度別に仕分けた。
その他は、誰から何通であったかを確認したのみである。
次回調査にて、これらの日付や内容について調査を行う。
熊楠が出した書簡も若干混じっていた。とくに土岐法竜宛(2通)などは重要なものであると思われる。宮武外骨や末吉安恭からの来簡も貴重なものである。その他、植物学関係の大学教授や地方の民俗学者、神社合祀関係、南方植物研究所関係などの書簡が多かった。これらは、おそらくは岡本清造氏によって、少なくとも一度は分類された形跡がある。
今後、ある程度整理ができた後には、それぞれの研究者に協力を要請してゆく必要がある。
これ以外にも、既に整理してある分の内容調査が未だ20箱分残っている。生資料に関しては未だ全体像が見えない状況である。今回発見分の来簡と既存の20箱の優先順位は?
人員投入について:今後、洋装和書、雑誌、中国書など作業が遅れているパートに関しては増員する必要がある。今後、人数等に十分な配慮が必要となる。(原田)
(文責・安田忠典)