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『熊楠研究』第三号合評会

【ミナカタ通信20号 (2001.5.20発行) 掲載】

2001年3月28日 午後5時半より 南方邸にて

出席者:飯倉照平、川島昭夫、小峯和明、志村真幸、千本英史、
趙ウネ、原田健一、安田忠典、横山茂雄

司会:安田

はじめに

安田  『熊楠研究』第三号の合評会をはじめたいと思います。まず、文枝さんの小特集ですが、これは『熊楠ワークス』の長瀬さんと辻さんの方でいたしますのでよろしくお願いいたします。

     今回の合評会では第二章のセクシュアリティについておこないたいと思いますが、その前に他の論文も若干、わたくしより述べさせていただきたいと思います。

     まず、金山正子さんの「南方熊楠のつかった記録材料」が掲載されたことは今後の研究、ならびに資料公開の観点からしても、たいへん重要なものではなかったかと思いました。

     もうひとつは土永先生の牧野標本館まで行って、熊楠が牧野に送った標本を調べた論文です。読んでいるわたくしとしてはわくわくするような展開でありましたが、結局、熊楠が牧野に送ったであろう量と、保存されている標本の量に大きな差があることが謎として残ったわけです。今後、この点がどういう風に解明されるか。今回、新しい来簡の発見もありましたので、楽しみにしたいと思います。なお、自然科学関係の論文が手薄なことが少し、気がかりであることを付け加えておきます。

飯倉 今度、発見された来簡に牧野富太郎からの書簡が一通ありまして。これは熊楠からの問い合わせに答えているものですね。

安田 えー、それで、もう一つ触れさせていただきたいのは、小峯先生の「南方熊楠の今昔物語集」です。これは続いているわけですが。小峯先生は熊楠の書いたテキストは、本への書き込み、ロンドン抜書、田辺抜書などの抜き書き、あるいはあちらこちらに切り貼りしている切り抜きといったものをぬきにしては、その全体像は分からないのではないかと、おっしゃっております。

     今回の論文では、書き込みを軸にしながら分析しています。こうした、観点は今後の熊楠研究の重要な方法となるのではないかと思われますが。ロンドン抜書、田辺抜書の抜き書きがどのように著作に使用されているのか、具体的に追跡されています。熊楠の特徴というか書き込みには、熊楠がどう考えたのかというコメントなんかはあまり書かれていない。端的に書誌学的な情報とかが簡潔に書かれたものが多いように散見されます。詳しく見たわけではありませんが、わたしの見た範囲ではそうしたものが多かったように思います。論文に話しがもどりますが、今昔物語集は晩年の昭和十年代まで、こうした書き込みを続けていたことは、熊楠の方法の持続性、終始一貫した姿勢という意味で興味深く読んだわけです。

     小峯先生の追跡を読みながら、わたくしがその通りだと思いましたのは、こうした作業が現代的な意義を喪わないという、232頁の結論部分ですが。「博覧強記によるおびただしい同類話の群れの指摘は、なお今日の研究にえきするものが少なくない」という点であります。熊楠が意図したひとつの研究スタイルが、目的したものが、こうした抜き書きや書き込みの追跡によってようやくその価値が実感されてきたわけです。今後、こうした熊楠への研究アプローチが大きな意味をもつだろうという感想をもったしだいです。

     他にも触れなければならない論文もありますが、時間の都合もありますので、セクシュアリティ関係の二つの論文に入らせていただくことにいたします。

セクシュアリティ関係論文

安田 まず、佐伯先生の論文です。これは佐伯先生の一貫したテーマでもありますが、近代日本におけるセクシュアリティの変換―恋愛観の変遷という問題であります。ヨーロッパ、キリスト教的な恋愛観が近代になって入ってきて、それまで日本にあった「色」とか「情」とかいったものが喪われていったということが、ここでベースになっています。

     原田さんの論文の場合、前半でかなり生々しく、熊楠の自筆の資料をもとに、これでもかこれでもかと、熊楠の同性愛体験が暴かれていくという形になっています。

     結局、ふたつの論文はお互いに呼応しあうようにして、近代におけるセクシュアリティの変遷に、熊楠があらがって−変態であるとか異常なものであるとかということに対して、同性愛が人間の本質に関わったところで、ひとつの生存のスタイルとしてあるのではないかというところにいたっていると思われます。

     若干、佐伯先生の論文は、自分の論に対して熊楠と結びつけるにあったっては資料の厚みが不足しているかと思われますし、逆に、原田さんのは研究史的な厚みが不足しているということがあるわけです。

     そこで、口火を切るわけではありませんが、原田さんの論文で分かりにくいところがありますので、そこを聞いてみたいのですが。110頁下段の5行目からのところですが。「この現世においては、松枝という一人の女性を通すことで熊楠は、田村家一族とのつながりをもつことになる。そこに、弟が代表する南方家一族とは違った、つながりが現実化する。熊楠の田辺での在住には、田村家一族の関係が陰に陽に働いていたからである。熊楠の羽山家兄弟姉妹への思い入れはそうした、田村家との密接な関係が投影されている。」。唐突といえば唐突で、羽山家と田村家の田辺における濃密な部分が急に出てきてしまうのですが。

小峯 わたくしも、そう思いました。

原田 あっ、全くそうでありまして。書いてみたらかなり長くなるということに気付きまして。とりあえず、先に結論だけさっと書いてしまいました。

     いろいろ考えていることがあって、熊楠の曼陀羅論―物と心と事という関係を、熊楠自身が親族の問題のなかで考えているということがありまして。同じかどうか分かりませんが、これは松居さんも前に言っていた記憶がありますけど。そこらへんを書こうということなのですが。これは次回送りということで、課題ということにさせていただこうと思います。ちょっと先走って書いてますね。

飯倉 原田さんの癖なんだよね。編集サイドとしては、前のは削れ削れと言ったんだけど。今度のは、私から見ても、少し書ききれていないということで、書け書けといったんで。

原田 これは、書きはじめると長くなりますね。

横山 えーと、ちょっと質問していいですか。

原田 はい。

横山 同じ、110頁の上段の最後の行のところですが、「熊楠にとって、羽山繁太郎、蕃次郎、平岩内蔵太郎が性的他者であったように、田村松枝も性的他者としてあった。」の「性的他者」という言い方ですがこれはどういう意味なのでしょうか。

安田 これも唐突に。

原田 うーん、最後の頁は唐突の連続だねぇ。

一同 (笑)

横山 私の思い込みかもしれませんが。性というのは他者同士が結び合うわけだから。あえて「性的他者」という、そこのところが分からない。

原田 「性的他者」という言い方になったのは。例えば、今、目の前に川島先生がいますが、これはわたしにとって「他者」ということでいいわけです。そこで、「性的」という言葉が付くのは、何らかの意味で、性というものを媒介とするというか、性というものを意識化したところで他者としての意味をもってくるということがあるからなのです。通常は、必ずしも性というものを介在しているという分けではない。そこで、性というものを意識化したことで成り立つ他者性を、とりあえず、一括りにしたというわけなのです。

川島 羽山兄弟も田村松枝も「性的他者」だというのは、熊楠にとって、男性にしても女性にしてもセクシュアリティの一部という意味ですね。

原田 ええ、そうです。

性の振り子

川島 熊楠は後年もそうなのですか。男性に対して性的に、

原田 後年、熊楠にそうした性的な関係があったとは思えないのです。ですから、性的関係があったとしても、熊楠の若い時期に限られている。そこの解釈が難しいんですよ。

     今日、武内先生がいらっしゃっていないので、ちょっとまずいのですが。批判というわけではないのですが、結局、批判ということになってしまうのか。武内先生の議論でいくと、熊楠にとって男色的な関係というのは若いときの一時的な関係であるということになっている。徐々に性的な関心が、女性に移っていくんだという書き方になるわけです。オナニー・イメージの問題とか、クレンミー嬢や松枝さんは男性的な女性だとか、いうことになるのですが。そこが、武内先生が考えている以上に、わたしにとって分かりにくいところになるわけなんです。

     そうした観点で、熊楠の性的な行為の軌跡というのを見ていくと、男色的な行為が許容される世界にあって、たまたま、女性というものが環境的にいなくて、男性と関係をもったというイメージになる。要するに、一時的な稚児趣味に過ぎないということならないか。あるいは、もっと本質的なところで、熊楠にとってホモセクシュアルということがあって、現れとしては、若いときには男性との関係が顕れ、本質としては変わらないのだけど、後年は女性との関係として顕れるという。大雑把な言い方でいきますと、二つの大きな捉え方があるわけです。

     私の場合は、後者の立場で描いてみようというわけなのです。その最大の根拠というのは、まず、若年において『珍事評論』などでまず、「男色」的な行為が書かれ、空白の後、晩年になって岩田準一との往復書簡で、再び男色「論」として論じられるということがあるわけです。書かれるときの重心の移動ということも含めて、ある一貫性が見えているわけなんです。熊楠のなかで、ホモセクシュアルということが本質的な問題としてあって、どこかで、それともう一度、晩年になって向き合おうという気持ちがあった。そこんところの、こだわろうという根拠ですね。

     そこが、武内先生に対する反論になっているわけです。もちろん、これはひとつの作業仮説としてあるわけで、実証できているというわけではないので、まだまだ議論の余地があるだろうと思います。

松居 武内先生もそこまで、こっちからこっちへと振れたと書いていないとおもんです。熊楠にバイセクシュアルな志向があったというのは、その通りだと思うんです。その中で、その時その時の熊楠の心理状態を読んでいくというのは、かなり印象論的なところがあって、どういう資料を採用するかによって、かなり左右されるわけです。原田さんは今回の論文ではどちらかというと、ホモセクシュアリティに重点をおくような読み方をしていて、面白いところがあるわけです。

     でも、例えばクレンミー嬢のところは、日本人社会に対して自分はホモじゃないよ、女性にも興味があるんだよという弁明として書いたとしているわけだけど。しかし、これだけ−「ロンドン私記」の中で、ホモセクシャルな行為を書いておいて、クレンミー嬢のことを書いたからといって、日本人社会の人がこれをそのまま信用すると熊楠が本気で思っていたとは思えない。ちょっと、原田さんはホモセクシュアルな方に振れよう振れようとしているから、どうしても一歩づつ、踏み越えている気がする。

     108頁の下段ですが、「ところで、女嫌いであった熊楠と女性との本格的な遭遇は帰国後のことになる。」ここのところですが、松枝さんとの関係以前に、確か、ロンドンから帰える船中で、日本の芸者に会って、自分は今まで禁欲を保っていたけれど、久米の仙人が墜落するように女性に対する魅力をそこで感じて日本の女性はいいなあと書いていますよね。そこのところ、その資料を重視すると、クレンミー嬢のところはやはり、熊楠が女性を求めているという風に読み込めると思うんです。資料の採用の仕方によって、こうした問題は読み込み方が変わってくるので、やはり注意しながら、いくつかの読み方を残した方法でやる方が、幅が出てくるんではないかと思うんです。

原田 今の帰国の話は、記憶がなくて。えー、知らなかったのですけど。

熊楠における美というものへの憧憬

安田 今の意見なのですが。自分は、熊楠が実際、男性、女性ということをどれくらい区別していたかという。あまりはっきり区別していなかったのではないかと思うんです。佐伯さんの79頁の上段から下段かけての「熊楠の恋は、生れつき男しか愛せない生得的な同性愛、あるいは、対象を必ずしも美少年とは限定しない近代的な「同性愛」とは異なり、理想の「美」の追求という日本の男色文化の伝統の上に立った、いわば文化的な「男色」ととらえることができる。」こういう見方があっているのではないか。切り抜きの中にたくさん写真が出てくるんですが、熊楠の好みの対象は、羽山の兄の繁太郎に外見のタイプが似ていたりする。どうも、そうした美の好みに性が介在するのか疑問がある。

     近代的なバイセクシュアルという言葉が合うのか、ということも考える必要もある。男だから好きだとか、女だから好きだというわれわれの見方そのものが、バイアスがかかっていないか。

     そして、こうしたバイアスが明治以降入ってきたものだという、佐伯・原田の共通認識はあると思うんです。

文化による強制の有無という問題

川島 文化的男色というのは、ある対象に対して性的な興味を引き起こす原因にはなっても、具体的な肉体関係が実際に存在し継続している時には、文化的なものが大きく影響を与えるというのは、私は考えにくいと思う。

     佐伯さんもそうなのですが、私は日本の前近代から近代にかけて、男色文化の存在をあまり強調しすぎることは、かえって現実と合わなくなるんではないか。もちろん、薩摩の兵児二才制度とか旧制高校とかそれぞれのサブカルチャーというものがあって、そこでは自然に男性に対する関係に入ったりする。しかし、それが日本の文化全体のなかでドミナント、なおかつ許容される正常な行為といえるかどうか、考えられたかどうかということになると疑問がある。

     普通はそういうことを経験して−男性に関係をもったり、恋情を抱いたりした人も成長の過程でどこかで、矯正され、修正される。資質とは無関係に、もちろん、資質が強ければずっと続くだろうし、ちょっと好奇心ぐらいで始めた人は簡単に矯正されてしまう。日本の文化における男色的なものを許容する伝統もあるが、一方で日本の文化は同時に文化によって矯正するという役割も果たしている。

     ところが熊楠はその矯正する過程をアメリカに行ってしまった。国内で経験できなかった。例えば、芸者を買うとか、赤線に行くとか。まわりからの圧力で、普通ならこれが正常な性だという修正があるのに、それができなかった。アメリカで女性を綺麗だなと思っても、これをものにするのはなかなか困難なわけです。ロンドンでも困難でしょう。結局、女性にどう接触するかという方法を獲得しないままに四十歳まできてしまった。私は松居さんが言うように、熊楠はある時期から、女性に対する興味が凄く出てきたと思うんです。でもそれを、十八、十九の時に方法的に鍛えられた人と違って、どういう風に女性に近づくのかということが分からなかったのではないか。結婚によって、はじめてそれがもたらされたということではなかったかと思うです。

友人に対する哀惜という問題

千本 アメリカ、ロンドン時代に、アメリカ人なりイギリス人なりに何かを感じている記述はあるのですか。

松居 アメリカの美少年の話しがあります。それほど魅力を感じていたりしていませんが。

千本 そう意味で。なんていうか、自分は男子校なんで深読みされると困るのですけど。今言っていたことは、男子校においてはごく普通なんですよ。僕の場合は、羽山さんのようなことはなかったですが、周りでは普通にありましたね。大学で共学になれば、変わるし、普通なんだよね。

     ただ、さっき言っていた、晩年になってのあれだけ、岩田さんとの往復書簡でというのは。それは、若いときに羽山さんは死んでいるわけで。それを哀惜する方法は、そこにもっていかざるをえないんじゃない。よき思い出ですからね。

近代日本のセクシュアリティの規範力はどこまでなのか。

横山 あの、日本近代において岩田準一、江戸川乱歩とか、熊楠とか。なんで、ここら辺―伊勢志摩、紀伊文化圏にあるんですかね。

一同 (笑)

川島 横山説では紀州ではハンサムな男性が多い。

横山 僕の説では新宮あたりから、異様な雰囲気を感じるんです、男が綺麗というのがあるから。(笑)

     僕が行ったのは二十代後半ですが、あの辺に旅行してゲゲッと思いました。だから中上健次は不細工なので、あれはつらかったなぁと思いましたよ。(笑)あれが彼の創作の原点という(笑)東京に出るしかないという……

     偶然といえば偶然なんですけど、なんでかと思いましたね。

川島 乱歩も岩田準一も熊楠も、非常に文献学的でしょ。

横山 そうですね。えー、それともうひとつは、佐伯さんなんかは明治の後半になったりするとだんだん抑圧されると言っていますが、乱歩なんか「孤島の鬼」なんか露骨に書かいていますよね。あれなんか許容されたわけでしょ。本人はおおぴらにやってはいないですが、小説としてはやっていますよね。あれは普通に読めばそうとしか読めない。あれは娯楽雑誌に載って多く読まれた日本社会というのがあるわけでしょ。あまり図式的に考えるわけにいかないのじゃないか。

川島 私もあまり分からないのですが、江戸の陰間茶屋ができるじゃない。戦後にゲイバーができるけど、その間はどうなってたの?

安田 やはり軍隊の時代というのは、軍隊が温床なんじゃないですか。

川島 風俗的な意味でマーケットが成り立っていたのかね?江戸と戦後の中間がね、

     よく調べているわけではないんだが、明治の「純愛」とか、強い強制力になっていたんじゃないかと思うんだが。

飯倉 さっきの横山先生の話ですが、紀州は農民社会とかいうより漁民というか、海上生活者の社会ということと関係があるかもしれないですね。

ホモセクシャルとホモソーシャルとの区別

松居 どうもうまく整理できないんですが。佐伯さんのも、原田さんのも、どうもホモセクシュアルとホモソーシャルをきちんと分けていないと気がするんです。ホモソーシャルというのは男性社会の紐帯の信頼性というのが基本にあって。お互いにホモセクシュアルな関係も結ぶし、場合が変われば一緒に女性を買いに行くという形にもなる。そうしたホモソーシャルな男社会のつながりと性癖としてのホモセクシュアルというのを分けて考える必要がある。

     熊楠はホモセクシュアルにおいては揺れがあるわけですけど、一貫してホモソーシャルな人であるわけです。そこのところを、私も分けて言えばどうかということを言えないのだけど、分けて考えないと曖昧な感じになってしまう。

原田 そこは難しいので。

松居 熊楠は「男の中の男」といった言い方があって、男同士の紐帯を確認するという面があったのではないかと思う。

千本 若衆宿やね。

安田 ぼくはどっちかというと、川島先生が言うような矯正はあったと思いますが。純粋な好みがあって、一貫して。その、十八、十九に男性しかしらなかったわけですが。情ということを感じたわけで。四十にして結婚して女性を知ったとか、帰国の船中で女性のよさをわーと感じたとかといって、男性に対して全然ということはないと思うです。

     両刀使いという言葉がありますが。なんというか、現在もそういう人がいますが、

千本 両刀使いの人というのはこういう徒党の組み方しないんじゃない。こう人を引っ張ってとか好きでしょ。熊楠という人は、小児的対応しますよね。子供を集めてとか。影がないというか。

安田 それは「両刀使い」ということにきついバイアスがかかったあとのイメージで、

対向としてのホモセクシュアル

千本 原田さんは、前、この論文を書く前は、話したときは論文とは違って。アメリカやロンドンに行って、目の前で同性愛が否定されてというので、これを巻き返さねばということに必死になったということを言っていたのですが。僕はそれはなるほどなあと思ったんですけど。

松居 それは、ロンドン時代は強くあるんです。ここにも何度も出てきますが、ロンドン抜書を始めるにあたって、オスカー・ワイルド事件があったわけです。熊楠にとって、こういう風にホモセクシュアルというのが罰せられるというのは非常に衝撃で、イスラム圏ではどうかとか、アメリカの原住民ではどうかとかをやりはじめたのがロンドン抜書の始めになるわけです。

千本 そのときには羽山さんは死んでいるわけでしょ。

原田 そうです。

千本 その人を傷つける行為なわけですよね、ワイルドの事件なんかは。自分は生きているからいいけど。連帯した、連帯というのはおかしいか。羽山さんとのあれなわけでしょ。しかも分かちあえる女性もいない。彼としては思い出の側に入るしかないわけで。切々たるした思いが……

熊楠の性をめぐる精神性

川島 羽山が綺麗だとか好きだとか、そういう言葉はあるわけでしょうが、羽山との「恋愛」が素晴らしいとかあるんですか。

安田 そういう「恋愛」とかいう言葉を、使う人ではないじゃないですか。

千本 『源氏物語』にあるわね、相手がこう言ってきて自分はこう言うというプロセスが。熊楠には、そういうのはないはね。

松居 なんか、羽山が自分をどれほど惚れていたとか、凄く幼いですよね。精神性が。

原田 それは言葉が幼いんですよ。表現しようとするときに、彼はホモソーシャルな言葉しか知らなかったわけです。私のひとつの考えとして、情愛というこを彼なりに感じていたと思うんです。羽山繁太郎との関係は病気も関係しますしね。それこそ連帯ということもあります。しかし、それを表現しようとすると「俺は美男子で」とかの表現しか知らないという印象なんです。

     表現と実態は別に考える必要があるのではないかということです。

問題提起として

原田 時間のようですが。どちらにしても、まだまだいろんなかたちで議論する余地が、あるという感じです。私としては正直いって、この論文は半分啓蒙という面があります。なるべくいろいろな資料を全部ばらまいて、ホモセクシュアルの立場から構成するという、

川島 これは、衝撃を与えるでしょう。

原田 半分啓蒙的な面がありますから、当然そこで脇が甘くなっているといえば当然なことですが。でもそういう風にして、大きく男色論の捉え方を変えてもいいのではないか。今までの議論には、不満もあるというわけです。

佐伯論文の問題点

小峯 ちょっといいでしょうか。今日は佐伯さんがいないので、原田さんの方に集中しましたが。佐伯さんの論文で「浄愛」をキーとしているわけです。これが熊楠の造語として本当に認定しえるのか。同時代的な資料として他にもあり得る気がするんです。また、もし、仮にそうだとして、熊楠が戦略的に造語とすることで、こういう風に認識して強調しよとしていたのかという、二つの疑問があります。

     もしそうだとしたら、熊楠の発想として論の展開のなかで、自分で造語して考えを発展していく方法として取り出せるのか。

安田 私もその点に疑問がありまして。ちょっと飛躍があるのではないか。岩田宛の書簡が、社会的に外に出るという可能性を思って書いていたものではない。私信という要素が強いものの気がします。その中の言葉ですから。

原田 なんというか、熊楠の男色論をひとつの一貫した考えで捉え、説明できないかとすると、なかなか難しいですね。現実的に。彼の中で統一していないのかもしれないのですが、それならそれでどうばらばらなのかを説明しなければならないわけです。佐伯さんのにしても私のにしても、なんとかひとつの統一した考えで捉えようとする、まだ作業仮説ですよ。

松居 とはいっても、今、安田さんが言った私信であるというのは重要なことで、これが熊楠の一般的な意見ではなくて、岩田準一との関係のなかで出てきた議論だということが、佐伯さんのものから読みとれない。そこが読み足らないという点です。

安田 えー、時間がきましたのでここで。

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