闘鶏神社の田辺祭を控えて、心なしか町も活気づいた七月第三週、例年より遅い梅雨明け宣言を前にして、紀州田辺の南方邸はすでに蝉時雨に鳴りこめられていました。午前中に鳴き立てるクマゼミの声は、会話にも差し支えるほどでした。森ではよく耳にするヒグラシの声も、夕方には聞こえてきます。
邸庭のトウネズミモチの木は、なぜかいつでもクマゼミで満席です。場所がなかなか空かないためか、セミが庭を飛び交う姿も始終眼にします。
アンドウミカンの木を見ると、人の背よりも高いところに、セミの抜け殻がすずなりでした。
書斎の前のニワザクラにも、たかるように抜け殻がとりついています。
視線を足下に落とすと、セミの幼虫が這い出した跡らしい穴が、邸の地面中至るところにあいていました。7年間の地中生活の末に今年再び地上に現れた成虫は、平成8年頃にたまごからかえったのでしょうか。力の限り鳴き、飛び、猛然と小便を放つセミたちの圧倒的な生命力で、夏の南方邸は満たされています。秋風が吹く頃まで、このうんざりするような状態が続くと思うと、一匹一匹の成虫は地上で一週間しか生きていないことが信じがたい気持ちになります。でも、よく見ていると、庭の片隅では、かわいそうに上に飛べなくなったセミが一匹、裏返ったままむなしく羽ばたきをしてもがいていました。寿命がつきかけて、天地の感覚を失い始めていたのでしょうか。
写真:2003年7月23日、南方邸にて。撮影:松居竜五、田村義也
翌々週の8月5日、すっかり夏らしくなった南方邸を再び訪れると、クマゼミはすでに盛りを過ぎたのか、声がいささか低まっていました。もう、人の話が聞こえないほどではありません。あらたに、羽の茶色いアブラゼミの姿も眼にするようになりました。セミが飛び交う姿がよく見られることは変わりません。
トウネズミモチの木には、アブラゼミが二匹(中と下)、クマゼミが一匹(上)。もう、先々週のクマゼミのような賑わいではなくなりました。
水屋脇に立てかけられた箕(み)状の器具にもセミの抜け殻が。地面に出て、コンクリートの上を這い上って、ドンづまりまで来たところで羽化したのでしょうか。
この壁の向かいにはアオギリが一本立っていますから、このセミはそのアオギリの樹液を地下で7年間吸って育ったのでしょう。「蝉の尤も集注するのは青桐である」(夏目漱石『我輩は猫である』七)。でも、この庭では、アオギリにはあまりセミが鳴いていません。
写真:2003年8月7日、南方邸にて。撮影:田村義也
新書庫前のニワザクラは、当初はユスラウメとしていたものです。当研究会生物班の検討結果を受けて、これを訂正致します。(2004. 3.16)
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