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第19回1999年春期南方熊楠邸調査の報告

《ミナカタ通信15号 (1999.7.20発行) 掲載》

 3月26日〜3月30日まで調査を行った。

調査状況

 調査終了日3月30日午後3時、南方文枝さんを囲んで調査の報告を行なった。
(なお、千本英史、金山正子の両氏は調査参加が29日までのため、29日にその報告をおこなった。)

○宮武省三来簡の写し、台紙に貼られた土宜法竜宛書簡の処置

千本  去年の夏から和書のだいたい四割くらいが終わりました。蔵に入ってすぐ右手の棚二つが国書ですけれども、それのこちら半分が終わりましたから夏はかなり集中してマイクロ化してもらえるかなと思います。きれいな本が多いですが、かなり虫が食っています。

    『西遊雑記』という江戸時代の旅行記できれいな本がありました。その中に宮武省三さんのはがきが挟み込んであって、それを熊楠が写しているのがあります。これは来たはがきをそのままよく写しているということでよい資料ではないかと思います。

松居  どのくらい書き込んであるんでしょうか。

千本  ずいぶん長かった。はがきにびっちり書いていて、そのうちの五分の三くらいを写してました。

飯倉  はがきそのものもあり、写したものもある。

千本  はい、ちょっと面白い例でしょ。しかもそれはきれいな彩色の絵のところに書かれていて、それをそのまま載せたら、なかなか気持ちよさそうな川の滝なんですよ。では金山さん。

金山  昨日今日の仕事で40の箱を一箱やっと終わったところです。来簡類と熊楠さんの書簡と、あと腹稿というほどまとまったものではないですが、未発表のものの下書き類、たぶん反古にされた書き直し分の原稿の無秩序に綴じられた束でした。名前を読むのに手間取りまして、全体的にはなかなか進まなかったという感じです。今ちらっと土宜法竜宛書簡の中に、25年に台紙に貼りつけられて整理されているものの出版本との照合をやり始めて、二通ほど終わったところで中断してしまいますが、後は武内さんの方にお任せしてということになります。台紙が藁半紙なので、やはりすごく原本の、罫紙に書かれているんですけれども、罫紙の変色がかなり出ていますし、ちょっと非常に資料にかわいそうな状態だなと。できればあれは剥がして、原本と別に保存してほしいと思います。以上です。

原田  そうですね。ちょっとまたその件に関しては顕彰会さんとご相談して…

千本  和紙でも酸化するの。

金山  和紙自体もだんだん酸化して行くんですけれども。ざら紙が酸化しますので、それに貼りつけている和紙も同じように酸化してしまいます。墨も酸化した状態で湿気を含んでくると粉状になります。

○田村密雄・広恵来簡、平沼大三郎来簡、大正期日記の校正

飯倉  私は書簡類の整理を一箱やっただけで終わってしまいまして、比較的まとまった数であるのは、晩年の横山重さんとの室町時代小説集の磯崎についてをめぐるやりとりと、十二支考の版権問題、熊楠さんの本をどうやって出すかということのやりとりのいきさつがいろいろ出てきます。あとそれから、比較的数の多いのは、これはすでに中瀬先生が一回、目を通して作られたメモがあるんですけれども、田村密雄さんと広恵さん宛の手紙、これが49通もあって、常楠さんとの土地名義の問題と、それから熊弥さんの問題がいろいろ出てきます。あと平沼大三郎さんのが、かなりまとまったかたちで記念館にあるんですけれども、どういう性質のがこちらに残っているのかなと思って眺めてみました。時期的には実は記念館にあるのと重なっているんですが、記念館にあるのは台紙に貼りつけたのがありまして、その最後の部分がここに残っていて、それから両方に共通する時期に掛かるもので、平沼さん自身がおやりになったのかもしれませんが、台紙に貼り込むのをやめて、抜き取って手紙のままで置いてあるものが19通くらいあって、粘菌のことではなくて他の、これにも熊弥さんのことが出てきますが、多少そういう事情があって貼り込む方には入れなかったものが別になっていることがわかりました。

中瀬  僕は日記の継続ですけれども、文字化してくれているものの校正が二冊上がって合計三冊になります。その間、少し宙ぶらりなので、八坂書房のかつて翻字している部分で、マスが非常に残っていて使うときに使いづらかったのを確定したいと思って、そのついでに他のものも見てみました。マスで残した部分は、一度で読めたのは半分くらいですが、マスで残した部分よりも、読めたとして出している部分の方に重大な間違いがあるので、一旦ああなっているものですけれども時間があればゆっくり校定してみたいと思っております。一字違うことによってまったく意味をなさん部分があるんですが、いろいろと日記の翻字をせなあかんと思っています。今日はマイクロで撮ってもらったものを開いて見せてもらいました。まあ8割くらいはあれで読めると思います。でも全部読むことはたぶん無理です。やっぱり原本でなかったら、薄いところが薄れてしまうということです。写真撮るときに、四方折ってあるものを伸ばして撮っているんですが、全部撮れていない部分があるんですね。そういうちょっとした作業のこともありまして、やっぱり最終的には原本ですね。しかし一時的に皆で手分けして作業するということになれば、あれでアラは行けるのではないかと。でも難しいですね。だいぶ小さくなっていますか。

原田  原本よりは小さいですね。

中瀬  9割くらいかな。ちょっとしんどいですね。

原田  サイズがB5かな。ちょっと小さいですね。A4にする必要があるかもしれません。予算の都合があるんですが、読みにくいとなると、少し無理してA4にしないとだめかもしれないですね。

中瀬  いずれにしても私は点眼鏡でやらないと。しかし、日記はやはり非常に面白い。それを読まないと本当のことがわからないですね。後日談というのか、やっぱり、その後どうなったかということを知らないと。明治にあった事件が大正になって出てくるので、はやく出さないと研究をしている人にはちょっと物足りない、これで書いてよいかどうかという迷いがあるかもしれません。

○熊楠図画の分類、酸化防止のための原本と台紙の分離、柳田書簡のマイクロ化

武内  今回は、金山さんが40、飯倉先生が38をやっていただいて、私が39の箱です。39の中で、再チェックですが、一番主なものは土宜からの来簡です。その39の箱には、八坂の往復書簡に載った土宜の来簡はすべてある、というのが確認できました。ただし土宜の書簡は、外国に土宜がいる時のは用紙にペン書きしてますので、非常に酸化が進んでいます。今年柳田のマイクロ化をやっていますが、土宜のはちょっとあわてた方がいいんじゃないか、という気がします。ただ、土宜の書簡は八坂に載った以外のものがその後見つかっていて、それは別の箱に入っているんですね。で、そのチェックはまだ細かい照合ができていませんので、それが済んでからでないと撮影にはかかれないだろうと思いました。あと、39に入っているのは郵便の受取状であるとか、おもしろい所では熊楠が描いた絵の類ですね。熊楠が描いた絵の類もいくつか厳密に分類した方がいいかと思っていまして、模写絵が一つありますね。非常に細密な、そして前の絵を模写したものです。それに対して現物を見ながら写生図。あと、高野山に行ったときに描いているような酔画と言いますか、酔っぱらって描いているようなものと、それと同じ範疇に入りますが戯画というようなもの。いくつか絵も分類しながらやる必要があるかという気がしながら、それはまあまだ先か、とも思ってもいます。それが終わった後、箱75のたまたまですが、熊楠が土宜に宛てた書簡の再チェックをしました。そちらの方は記念館に二通あるんですね。大正期の一通がその箱にはなくて、それ以外は八坂の往復書簡に載ったものは、その箱75にあります。

原田  その抜けている大正期のものは岡田桑三氏のところにありました。短いものですが。

武内  ああ、そうですか。で、今度こちらは和紙にかかっているんですが、昨日金山さんが言っていましたように、藁半紙に貼りつけてあるんで和紙の方の酸化が非常に進んでいるんですね。だから、早急に話を進める必要がありますが、早くその藁半紙の台紙を剥がす作業をしないと。ただ、これは平凡社版の全集をやる時に台紙を貼りつけたようなんで、そのナンバリング順にやっているんですね。ところがその台紙のナンバリングが日付順になっていないのが第一点と、おまけに同じ書簡でも最後の方から貼りつけているものがあるんです。そやから、調書には一応書いていますが、その点気をつけないと混乱するのではないか。それが済んでから、マイクロに撮る必要がある。

原田  そうすると、その作業はまだ終わっていないのですか。

武内  それは終わりました。

飯倉  つまりどれがどんな風に入り組んでいるかというメモは作ってある。

武内  もう作りました。

原田  だったら先生の方でもう順番に並べて置いてもらった方がいいんじゃないかな。

武内  ただ逆に言うと、今ある順番にそのままやってもらって、調書を見ながら後でなおした方がいいのでは。またそれをやるとちょっと混乱するかなという気もしますので。

原田  ではとりあえず、今のままの順でそのままやっていただいて、後で調書を基にして整理し直すと。マイクロ化も今のままの順でもよいかもしれません。ちょっとそれは顕彰会さんとご相談してなるべく早いうちに決めるということで。

飯倉  ちょっと柳田さんのことを言っておきたいのですが。今回光楽堂さんに来ていただいて撮ったのは、顕彰会としては初めてのマイクロ化ですね。実は柳田國男全集の編集部のかたから、最初は来て撮影したいという意向があったんですが、柳田の書簡についてはこちらとしてもちゃんと写真を撮っておいた方がいいということもありまして、一応顕彰会としてマイクロを撮るんですが、その費用の一部を筑摩書房の柳田全集の編集部の方からもらうというかたちでやることになっています。たまたま柳田さんの手紙が先になったのはそういう事情があって、向こうの全集はだいたい半分くらいまですでに来ていますので、そのためにやってもらったということです。

武内  それでその台紙を剥がす作業ですね。どこになるかですが、田辺の地元の竹泉堂になった場合、竹泉堂なら僕もよく知っていますんで、指示を受けるように。やる前に僕が直接言って指示してもいいかなと。すぐに来られますし。竹泉堂なら和歌山の方にも来ていますから、その時に来てもらってもかまいません。

○フンボルト・ライブラリー、蔵書目録作成に向けての問題点、親族から熊楠宛の来簡

川島  蔵書の方は私の予定では、前回再チェックが終了する予定だったんです。が、前回申し上げたように、前回の作業の途中で棚に二段分くらい、4・50冊まったく調査せずに飛ばしていたと言うことがわかって、今回その分をやったわけです。それと後は、カード全部再点検して、ところどころに記入漏れとか不審なところとかありますので、それをもう一度空白部を埋めていくという作業で、十分今回終了するというつもりだったんですが…。(笑)途中で厄介なフンボルト・ライブラリーというアメリカで出ていた叢書があって、これは前にも田村さんにカードを作ってもらったんですが、不審な点があるのでつき合わせてみると、かなりこの叢書がややこしくて、途中で書名が少し変わったりとか、出版社が途中から変わったりとか、いろんなことがあってそれを一冊ずつ全部つき合わしてみるとかなり時間がかかりました。それで少し予定が遅れて、最後の最後、ブリタニカの11版のページ数をカウントして、書き込みとか、新聞とか面白いものも出てきましたけれど、それを探す作業の途中で、36・7巻の13か4まで行ったところでタイムアップしてしまいました。次回その20冊分くらいをやれば、ほぼ今できることは終わりということになります。97年までに新たに集めた情報はすでに入力が終わっています。私が英国から帰国してから後の3回の調査で付け加えられた分の情報を次の調査までに原田さんにお渡しするつもりでいます。洋書は確実に次回には終わる訳ですけれども、和書はまだ残っていますので、横山さんなど何人か協力してできるだけ早い時期に終わるように進めたいと思います。その後印刷刊行して、公開しなければならないということになりますが、それはデータベースとしてストックするかたちと印刷するかたちはまったく同じものではない。例えばデータベースは書庫にある蔵書に関してのものですが、出版されるものは熊楠蔵書として出されるはずですね。実は書庫の中には、熊楠の蔵書以外に、常楠の蔵書と熊弥さんの蔵書も若干ですが入っている訳ですね。それが今回の調査で、確実にこれは熊楠のものでないというのがかなり発見されていますので、それを目録の中では分けなければいけないということになります。そもそもそれを熊楠蔵書目録の中に入れるかどうかを考えなければ行けない。ここまでの作業は私なり田村さんとかで協力してできたけれども、これから後の作業は松居さんや飯倉先生に方針を決めていただかないと。公開される蔵書目録がどういうかたちになるか、お二人だけではないですが、私だけの意見でなく目録編纂委員会としてフォーマットを決めていかなければいけないと思っています。 それから先ほどアメリカで出たフンボルト・ライブラリーという叢書のことを話しましたが、だいたい2セットあるんですね。不思議だったんですけれど、アメリカから常楠宛に送ってあるというが全部書いてあって、ようやく理由がわかりました。きれいに製本してあるものもありますが、それは常楠さんの蔵書であったということもわかりました。かなり特定できるようになったと思います。目録の出版という方向で考えなければならないですね。

松居  2セットあるものはほとんど重なっていますね。

川島  ええほとんど重なっています。

松居  片方だけにあってもう一方にないというものは…

川島  ないと思います。それで、あれは出版年と購入年がかなりずれているんですよ。フンボルト・ライブラリーというのは雑誌形式の単行本なんですね。毎月出版するような。で、届けられるようなかたちですね。ですからそういうかたちで購入していた人もいると思いますが、熊楠の場合は購入年がかなり違うので、本屋さんに並んでいるものから、自分に必要なものを購入しているんですね。そうして2セット購入している。自分に必要なものは常楠にも読ませたい、と思って購入しているんですね。それから面白いのは Fermentation、発酵という、これはフンボルト・ライブラリーではないですが、あるんです。これをやっぱり、presented to Tsunegusu by his affectionate brother、兄貴からかわいい弟にこれをプレゼントするという、これは酒屋を始めてからだと思いますがそういうものも入っていることがわかりました。これも結局、最終的に所蔵者は常楠氏だから、常楠蔵書と言うことにはなります。ややこしいですね。熊楠が買って常楠が持っていたという来歴の本があるわけです。

松居  それがどうしてまた常楠から熊楠に来たのかというのもわからないところですね。

川島  それはわからない。

横山  僕の方は今回は、蔵の方じゃなくて、岡本氏書庫に入っている洋綴じをやりました。あちらにある本はごく一般的な国史大系だとか随筆大成だとか、フォーマットが決まっているので早く進むかと思いましたが、やはり時間がかかって次の回に入ってしまいした。再チェックと言っても、特に叢書類の場合ページ数が膨大で千頁を超えるようなものでして、書き込みなしとある本に書き込みを見つけることは比較的簡単なんですが、ありと書いてあって、それがないんじゃないかという疑いがあってもないと断定できないんですね。『大菩薩峠』を今やっていたんですけど、あれは前の調査では書名も書き込みもないことになっているんですが、ぱらばら見ているとあるんですね。あれはご存じのように日本というか世界最大の小説なんで、あれを全部見る訳にもいかないし・・・(笑)ある程度抜けがあっても、スピードも大事なので、一回作ってしまってから訂正するという風に考えないとできないと思います。川島さんがおっしやったように目録のかたちにしていかないと。全部やらなくてもいいけれど、一定の枠を作ってみて、みなさんの批判を仰いで、それをたたき台にしてやった方がいいかと思います。

吉川  私がやった作業は、原田さんから言われた、常楠から来た手紙と、ほんのわずかですが姉さんの垣内くまから来たものと、四番目の楠次郎、父の弥兵衛のもの、そういう来簡集のコピーをしまして、これから先私が死ぬまでかかって読む訳ですけれど…(笑)一つの箱の中に整理してくれていましたが、いくつも入っていましたから。だから、どれだけあるかはっきりしませんね。あれ読んでいけば、アメリカ時代のことなんかは資料が少ないわけですが、向こうでの生活なども多少わかってくるのではないかと思います。そういう意味ではたいへんありがたい資料ですね。

武内  先生、ただ弥右衛門は父親か兄か筆跡で見ないとわかりませんね。

吉川  弥右衛門と書いて、弥兵衛と書いてますね。

武内  それなら父親ですね。兄貴のもあったはずです。

○切り抜いていない「切り抜き」をどうするか

安田  新聞の切り抜きを整理していますが、切り抜きとしてまとまって出てきた分は一応すべてファイリングしてあるんですが、それ以外に整理箱、キットボックスにまぎれて入っていた分を持って帰って整理できるように今回コピーしました。キットボックスの中の分はほぼ間違いなく全部取れたんですが、それ以外に切り抜きは川島先生がおっしゃったように蔵書の中に挟まっていたり、日記の中にたくさん貼り込まれているんで、今後はそれも網羅したいと思います。あと、この機会に二・三ご教示いただきたいんですが、一つは切り抜いていない新聞一紙そのままで残っているものがありまして、それは古新聞として除けておけばいいんですが、それを見ていると中に 「入用」という書き込みがあって、必要だと思われる記事に丸をしてある場合とか、あるいは一面ではなくて途中の面に「入用」というのがあつて、たぶんそこに気に入った記事があつたんだろうという場合とか、そういう全紙が残っている場合があって、これはどうしたらよいのか…(笑)僕の頭脳では及びもつかない状況です。「入用」と書いて丸をしてあるんで、もしかしたらご家族の方に切り抜いてもらおうと思ってはったんかもしれないんですけれど。記事がはっきりしているのはまだいいんですが、「入用」とだけかいてあるのは。全紙で残っている分がキットボックスで言うと7箱ほどあって、それは手を着けられない状態です。もう一つは、同じような問題ですが、今のデータべ−スは一枚の切り抜きにつき一行を使って整理しているんですが、たとえば半分大きく切り抜いてあって、その中にいくつも記事がある、一枚の中に20も25も記事があるものがあって、そうすると見出し以外に20いくつも記事があると、今後検索の便を考えてどういう風に整理すればよいか。今のところ何題記事があるかということしかデータベースではわからないので。題を全部採った方がよいのか迷っています。原田さんなんかはキーワードというかたちで入れておけばよいのでは、と言って下さったのですが、せっかく整理するのにもったいないかなという気持ちもあって。

原田  きちんと切り抜いているものでも四つくらい記事が入っているものもあるし、あれは難しい。

松居  結局、今の話をまとめると、記事が特定できるものと特定できないものがあるということだよね。だから記事が特定できるものに関しては、丸だけ付けてあってもやっぱり切り抜きとして扱うべきじゃないかなと思うけれど、特定できない場合は2から新聞まるごとの全記事まで、特定できないレベルというのが多様なわけですね。その辺はある程度ルールを決めてやってしまうしかないかな、という気がするけれど。特定できないものはとりあえず無視する、というのも一つの考え方かとは思います。

○立体的だった曼陀羅図、海外来簡のリスト、空封筒に書かれたメモ

原田  僕は横山先生と同じで和書の再チェックをしています。やっぱり細かいミスもありますし、どうしても購入の記録とか重要性が高いと思いますので、抜けがないようにと考えています。もう調査も7年もやっていますので、いよいよ後半戦にかかってきたということで、成果を発表していくということを考えながら仕事をしていかなければいけないところに来ているかと思うんです。それがより難しくなっているところでもあるし、お互いにある程度まとまったところで話をしながらやっていかないときちんとしたかたちにならないだろうと思います。それと、この間『熊楠研究』としてまとまったかたちで第一号を出した、そういうかたちもあります。成果というのはいろいろなレベルがあって、先日も話し合いをしましたが、『熊楠ワークス』に『熊楠研究』に載っているものをそのまま載せるというのも無理な訳ですし、そこら辺のところを考えたいところです。案外、ちょっとしたことでも面白いものもありますし、文枝さん、顕彰会さんのご了解もいただいて、なるべくそれにふさわしいかたちできちんとしたものが出せるようにしたい。たとえば単純なことですが、武内先生とともに土宜法竜宛書簡を見ていて気がついたのが、一つはあれは二色のがあります。朱書きして墨書きしているのがあつて色を変えているのがあつたり。有名な曼陀羅図も現物では非常に立体的に、墨の濃淡を使ったり曲線の描き方でそういうイメージを作るように描いているんですけど。八坂さんのと平凡社版のは、平凡社でやったマイクロのものでやっているんで、べちゃっとしたかんじになってしまっています。案外、ちょっとしたことなんですけれど、見る側から見るとずいぶん印象が違うんですよ。やっぱり立体的なように見えるようなやり方をしているのと、平板なべちゃっとしたかたちにしているのと。ちょっとしたことですが、オリジナルに近いかたちで紹介した方が熊楠の本当の意図とか伝わると思います。そこら辺をどんな風にしてやったらいいかなとは思います。

松居  前回に引き続き海外来簡の方をやりました。前回の終わりの時に、もうほとんどできて、あとは細かいところだけだと言って、二日ほど前に『ワークス』の編集部と話した時にはもうほとんど終わりつつあるんだと言って、今日はもう終わりましたというつもりでいたんですが、最後に箱を開けてみると、スウィングルからの来簡がなんと一束出てきて、終わり切れないという状況です。(笑)次回の最初の方に終わります、と言いたいんですが、終結宣言はしてはいけないのだということを学習しましたので言いません。(笑)ただ、海外来簡に関しては、この調査の最初からやっているところなので、それほど大きな異同はないと思います。だいたい400通くらいです。前回も話しましたけれど、一行くらいで内容が簡単にわかるようなかたちにしていまして、リストを何らかのかたちで発表したいと思っています。あるいは『ワークス』であるか、そのあたりは顕彰会さんなどにもご意見を伺いたいと思います。内容的には、かなり二回目・三回目読むものが多いのでそんなに新しいものは出てこないかなと思っていたんですけれども、たとえば今回空封筒の上に熊楠がメモ風に英文で二・三行書いたものがあって、実は読んでみると、熊楠が大英博物館追放事件の時に書いた陳状書の下書きだつたんです。陳状書に関しては翻訳を出しているんですが、それとは微妙に文面が違っていて、違っているところが非常に面白い。三行のだいたいの内容は、「英国に私がいる唯一の目的は大英博物館で scientific researches、「学術研究」をすることにあって、それはまだ終わっていないので、入館証を再発行していただきたい」というものなんですけれど、細かく見ると推敲の跡があって、その「学術研究」というのが最初は anthropological researches、「人類学研究」ということになっているんです。今、陳状書の中では descriptive sociology、「記述社会学」となっているところもあって、また常楠宛書簡の中では、武内先生が起こされたものですが「社会学は成り申し候」になっていますね。要するに大英博物館での仕事を熊楠自身が、自分はどういう学問をやっているのかと考えていたのかというのはかなり重要なポイントなんで、「人類学研究」をしていると書かれていることは私にとつては非常に参考になることでした。それが空封筒、それも封がされて見えなくなっている部分に書かれていたので、なかなかぱっと目につかない資料も読み込んでみると重要なものを含んでいるということ、当然のことですけれどもそういうことを再認識しました。全体のことに関しては、調査の結果を発表していく、その媒体としては『熊楠研究』を中心にして、一年に一度は刊行していくということになればと考えています。それが新しい全集につながって行けばよいのですが。

飯倉  まあ、そんなところで。

(文責・松居竜五)  


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