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第18回1998年夏期南方熊楠邸調査の報告

《ミナカタ通信14号 (1999.3.20発行) 掲載》

概要

 南方熊楠邸の夏期調査の日程は7月30日(木)より8月3日(月)まででした。

 今回の調査は生資料を中心に行いました。

 また、8月1日午後4時より、中瀬喜陽氏の案内にて田辺近辺の熊野古道の見学ツアーを行いました。

調査状況

 調査終了日8月3日午後1時、南方文枝さんを囲んで調査の報告をおこないました。
(なお、中瀬喜陽氏は8月3日所用のため8月2日にその報告をおこなった。)

○日記について

中瀬  今回も日記の校正をおこなっております。岡本先生が翻字されたのを、入力していただいたのを元にやっているわけです。ざっと、素読みしまして、その時おかしいなと思われるところを、多分これは打ち間違いだなとか、いろいろあるわけですが、鉛筆でチェックしておきましたところをやりました。前回のようにしていますと、だいぶ時間がかかりますので、疑問に思ったところだけにしています。 今日的な成果のレベルで言いますと、若干読み間違いということもありますので、そうしたところについてもおこないました。どうしようかなということのひとつに、我々の時代ですと、岡本先生の時代から時間が流れていますから、小学校の先生の名前なんかも我々はまったく知らないわけです。しかし、岡本先生だと知っていたりします。ちょっとした新聞の社会面の記事の抜き書きに、筑前琵琶を習いにきていた某教頭先生の奥さん〇〇(××歳)と出来たそうでという記事が出て、名誉毀損で訴えたとある。これはまあ、訴えたということであるわけで、いいかなと思うわけですが。わたしは直接その先生を知らないのであまり感情は出ないわけなのですが、岡本先生ははぶいた方がいいと判断されて書いていないわけです。それを補って、分かっているなりに後で、カットするのか、する必要があるわけですが。どこまで活字にできるか。

文枝  あの先生は平松ですか。

中瀬  ええ、徳治というんです。

飯倉  今度の場合はマイクロは残るわけですね。ですから、限定された人でも複数の人間が田辺市で見られる形が考えられる。日記も全部活字になるかむずかしいところでしょうが。公にするにもいろいろな段階が、あるわけでしょうね。

中瀬  まあ、読むのは全部正確に起こしておこうかなと思っているわけです。そこまでの作業は進むわけですが。それから後というのは。

飯倉  地元の感覚としてはそういうのは難しいところですかね。

中瀬  そうですねえ。日記に限らず手紙でもそういうところが出てくるわけです。直接知っている人が、目の前にあらわれるわけですからひるみますね。

武内  和歌山市史ではそういうものは姓のところだけ□で囲っていますね。

飯倉  記事がなかったことにするのはうまくないですね。

中瀬  各人違うんでしょうが、日記の早見表みたいのがあったらいいなぁと思っているんです。今回も、前後を忘れたんで付け合わす必要があるので、家に帰ってからしようと思うんですが。岐阜県に名和植物昆虫研究所という有名な研究所があるんですが、そこから一人の青年が来て熊楠に出会ったというのがあるんです。これは文枝さんからもお話しをうかがっているんですが。今、読んでる日記によると、誰々という人から手紙をもらったとある。名和研究所の何某からつねづね熊楠の名を聞かされ、熊楠のことを知ったというわけです。今まで自分で勉強して熊楠のことを知った、一人の青年がふらっと来たと思っていたことが、そうではなく、研究所の人から常々尊敬していることを聞かされて、田辺に来たとき熊楠に会おうという気持ちになったのかもしれないわけです。そういうことがでてくるわけですね。

川島  平野威馬雄さんが「名和昆虫王」という伝記を書いています。昭和十年代ですが。

中瀬  ほう、そうですか。

原田  ええと、岡本先生の翻字は備忘録の部分は翻字していないわけですね。

中瀬  ええ、そうです。そこはまとめてやる必要があるわけです。

原田  それと、先生は前にお話しになっていましたが、大正14年の熊弥さんの発病から一年ぐらい、日記は英語が半分くらいになりますね。あれは、どうでしょう、やはり石川啄木のローマ字日記みたいなもので、読まれたくないものを英語で書いたのでしょうか。あるいは、熊弥さんの病状を観察というと語弊がありますが、熊楠一流の冷静な観察眼による記述か、あるいは自分の気持ちを吐露しているのかもしれませんが、これは全部活字にするかはともかくとして、重要なものになるところだとは思いますが。

松居  それは見たいですね。熊楠の英文でそうした私的な文章というのはあまり残っていないんです。論文はきちっとしたものですし、英語で誰かに書いた手紙もあまり残っていないんです。ですから、英語で私的なことを書いたものはほとんどないわけですから、その意味で興味深いものでしょう。英文日記というのは面白いですね。

安田  心情を吐露するというのは、タイプとして無いんじゃないですか。

原田  冷静な観察の記述という感じでしょうね。

松居  きっかけは熊弥さんのことでしょうが、大正年間になって英語を使う機会がないわけですから、自分で英語を思い返しながら書いているところもあるんじゃないですか。

○海外来簡について

原田  この件は、そんなところで。松居さん調査のについて、

松居  引き続いて英語の来簡の調査をしました。書簡の内容が判るように見出し的に一行かそこらで書くようにしています。今回でほぼまとまってある箱の英文来簡は終わったわけですけど、あちこちに散在している英文来簡についてはその都度言っていただければ、適時処理したいと思っています。

    英文の書簡についてやはり役立つのは日記の書簡についての記載ですね。相手がどういう人間か、書いてあるのがあって。日記はそういう点でも重要だということが再確認されました。内容的には大きな発見は特にありませんが。例えば、カルキンスの書簡など有名なのですが、今までちゃんと読んでいなくて、今回読んでみた結果、実は熊楠とカルキンスが会っていなかったことが判明しました。

原田  ああ、そう。

松居  「てんぎゃん」では会ったことになっているので、そのイメージが強いのでそう思っていたのですが。やはり、漫画の影響力は大きいことが分かります。

川島  スイングルからの手紙はありますか。

松居  ええ、あります。スイングルの手紙で長いのがあります。これはまだ、読んでないので、次回ですが。

川島  田中長三郎はスイングルの弟子ですね。

松居  ええ。南方の代わりに田中長三郎が行ったわけです。

    スイングルは日本に二回来たのですか。日本に来て、東京から手紙を送ったりしたものがあります。来る時の船の中で書いたりしたので、長文になっているようですね。

川島  手紙の中にアメリカに来て欲しいと書いてあるわけですか。

松居  まだ、読んでないのでそれは分からないんですが。あったはずです。えーと、そんなところで。

○邦文来簡ならびにメモ類について

武内  邦文の来簡ですが、私は宮武省三書簡をやりました。160数通あります。中味は重要なものは熊楠が封筒に、メモ書きしてますので、それをとりました。来簡ですので全部の書簡の内容はやっていません。金山さんがきてくれたので、手伝っていただいたので、助かりました。笠井清さんが作成した目録と照合したところ、全部それはありました。その目録に登録されていないものもありました。それから写真類の整理と、若干の生資料を整理終えたということです。

金山  私は武内先生のお手伝いとメモ類、腹稿類の箱をやりました。腹稿はなるべく何の原稿のものかを確定するようにしました。しかし、これはマイクロ化するなりして、手元に複製を置いて、すべてのメモ、腹稿類を、活字化されたものと照合しながら、再整理しない限り最終的な確定はできないだろうと思います。なるべく早く複製する必要があると再度、思いました。

飯倉  私もキットボックスの15箱にはだいぶ、かかっていまして。これは一度、中瀬さんが整理していただいたのですが、封筒だけのものや、分からないものもありまして。そのなかに、プリンス片岡の唯一のものと思われるものがありました。松居さんに言わすと片岡しかないよと言って、日付を見ると最初の論文を発表する時なので。中瀬さんも、片岡だと言って。

松居  フランクスからの伝言を伝えたものですね。フランクスも熊楠も両方知っている人間というと片岡しかいないんです。

飯倉  中味のない封筒が何通かあって。どっかから出てくるのかもしれませんが。川島さんがやっている田中長三郎さんので。日付を見ると最終的な決着つく一つ前の手紙で、これはちぎって捨てたか。

一同  (笑)

飯倉  あるいはどこかにあるか。危ないところですが。

    まあ、手紙を調べるというのはスリルに満ちた仕事で楽しいのですが。しかし、まだかなり来簡はあるので、ちょっとたいへんですが。そんなところで、

○マイクロ化について

千本  今年の夏は、春に調査してリストアップした自筆資料本を。ええ、資料館では綴じた冊子状のものだけできるのですが、そのマイクロ化を終えました。調査の方は所蔵の版本・写本の調査をしていまして、63番台までチェックしましたので。これを来年の夏には引き続きマイクロ化をお願いいたしたいと思います。冊子になったかなりの分量のものは資料館でできましたが、後は一枚ものが残っているわけですね。これはどこかで予算化していただければ、金山さんがおっしゃったことが実現するわけで、これはそれほどお金はかからないのではないですか。

松居  枚数的には、どれくらいになりますか。

千本  いやあ、それは、どうですか。武内先生。

武内  数えないといけないですが。

千本  点数がどれだけあったにしても。

武内  その点数分、かける2ぐらいか。

松居  大きいものもありますが。

千本  大きいのは、分割して撮るということになるんですがね。手紙類なんかはそろそろ考えないと。国文学資料館では手紙類は無理ですから。そういう収集の立案を考える必要があるんではないですか。

武内  最初は熊楠の自筆資料になるでしょ。来簡は後になるでしょう。

千本  原稿類は可能性があるんです。今年の四月に国文学資料館で、明治文化室が開設されまして。それまでは江戸までが資料収集の対象でなかったものを、明治の部門ができまして。これまで熊楠は今昔の関係ではじまったものですから、中世の部門が熊楠を担当してましたが、移籍しまして、これからは近代の資料室が担当になります。こちらには何の変化もございませんし、御迷惑をおかけするようなことはありませんが。近代の資料を扱いますと作家の自筆の原稿も視野に入ってくるでしょうから。それはなんとかできないかと思います。

原田  ちょっと、助成金等含めて考えてみないと。

千本  手紙なんかはマイクロにそんなにこだわる必要があるのかな、という。Photo-CDなんかでいけないのかという。

松居  あるいはスキャナーで。

原田  スキャナーを置いて、やるという。

千本  マイクロというのは写本だから必要なので、内容を知るということだけなら。

原田  MOかなんかに入れて。

千本  それこそ研究会のメンバーには、送っていただいて。その方がいいような気がするんですが。

松居  なるほど。

原田  うーん、誰がその作業をやるの、かなあ。つらいなぁ。

一同  (笑)

○新聞切り抜きについて

安田  新聞の切り抜きの方は、今、所在のはっきりしているものについては全部コピーしましたので、あとは家に帰ってデーターベースを整理すればいいのですが。まだ、若干、所在が分からないものもあって、これからキットボックスの整理が進むなかで出てくるかもしれませんので、発見した場合、よろしくお願いいたします。

○文献目録について

原田  僕の方は、今回、文献目録を作らないといけないということで、顕彰会にある文庫とこちらの書斎にあるものを拝見させていただいて、必要なものをコピーしました。実際の作業はこれから入力してできあがりなのですが。紹介的なものも含めて、千点ぐらいにはなるでしょう。全部で3回ぐらいに分けて載せたいと思っています。 えーと、ブームがあると一挙に増えるということなんですけど。ただ、思ってもみないところで、いろいろ、えー、学校の紀要なんかで、きちっとした翻字の作業をして載せているものがあったりします。やはり、こうしたものをみていると、これだけの量をカバーをするのは個人では無理で、なんらかの研究センター的なものがあることが望ましいので。現在の段階では、顕彰会や記念館がそうした役割を果たしいる面があるわけですが。いつかは、そうした蓄積をしていく場所が必要となっていくでしょうね。

    あとは、蔵書の和書を私はやりましたが、これについては、川島先生と横山先生に

○蔵書について

川島  わたしがやっているのは書物から得られるものをカード化しているわけですが。実は前回、洋書に関してはチェックが終わりましたと宣言したのですが。カードを点検した結果、まだ二百冊ほど未着手がありまして。エッホン、実は今回やったのですが、あと、三、四十冊ほど残ってしまいまして。終わるのは、次回の調査でということになります。

    たいへん、時間がかかって申し訳ないのですが、すでに作成されたデーターがあるわけですが、目録を作るということになると、最低限の書誌学的なことがクリアーされなければならないのですが。本というのは実に一筋縄ではいかないのでして。例えば、6巻本のシリーズがありますと、よくみると4巻目から出版社の名前が変わっているのがあるんですね。外国の出版社はよく名前が変わるんですね。個人名でパートナーの名前が付け加わったりすることがあって。こうしたことはよくあることなのですが。第一次の調査ではそうしたことをあまり意識にせずに、最初の第一巻を見て、同じ会社だということで、他の卷も同じようにリピートをかけていくようにしていたと思います。実は一冊づつ見ていくと第4巻から他の出版社名になっていることがあって。こうしたことを一冊一冊確認していくとこれだけの時間が必要になったということなったというわけです。

    しかし、次回にはそれも終わるわけで、次はどのような形でパブリシュしていくかという。基本的なデーターを加工していくという。その時、一番問題になるのは分類でしょう。今日気づいたのは、有機染料の関する本があるわけですね。これを普通の図書館の分類でいきますと、化学の分類になるわけです。その横に何があるかというと、レンズという本があるわけです。これは物理学の光学に分類されるわけです。この二つがなぜ並んでいるかというと、実はプレパラートの着色用の染料が知りたいから有機染料の本があるわけで。一方、レンズの本は顕微鏡のレンズに関する知識を得たいので、その本があるわけです。ですから、熊楠のなかで、これは顕微鏡ということで一つの繋がった項目をなしているわけなんです。これが学校用の分類ではバラバラになってしまうわけで、その意味で、熊楠用の分類が必要とされるわけです。それができるか、考えてみる必要があるわけです。

松居  キーワード…

川島  ええ、キーワード式のものですね。松居さんに協力していただいて、熊楠に関してはこういうキーワードが必要だと言ってもらって。それに本を結びつける方法を考える必要があるかと思うわけです。

松居  そろそろ、蔵書と「ロンドン抜書」の項目をリンクさせる必要がでてきたかと思うわけですけど。「ロンドン抜書」の場合は抜書ですから、本の全部を写すというわけではなく、ある部分を写しているわけで、本のどこに注目して読んだかが分かるわけです。「ロンドン抜書」の内容全部を網羅的にやるのは、まだ先になるでしょうが。蔵書と「ロンドン抜書」のリンクを考えながら情報の交換をする必要があると思います。

    「ロンドン抜書」に関しては、大英博物館がやったものが大半ですから、博物館の所蔵番号がチェックしてあるんですね。ですから、ここものも大英博物館のシェルフマークを参考にしてもいいのかもしれませんね。ただし、大英博物館のシェルフマークは分類していません。古いものから順々に番号を便宜的につけてあるわけです。

川島  シェルフマークを見ても本の内容は分からないわけです。ところで、実は大英図書館は移転してシェルフマークという言葉も変わってしまったんです。ハハ、

松居  そうなんですか。

川島  ええ。 それから、その作業とは別に田中長三郎の手紙を集めているわけですが。読めないところがかなりあったのですが、中瀬先生に教えていただいてなんとか全文読めるようになりましたので。それから和書に関して横山君に来てもらいましたので、横山君に。

横山  和書の洋綴じ本をやりました。すでに台帳が出来ているわけですが、無理もないことですが、間違いもありまして、これらのチェック作業をおこなっております。これは熊楠研究とは直接関係ないのですが、書誌的な問題として。例えば、明治十年代の本ですと著者兼出版人の場合あるわけですが、どうも売り捌き書店が出版社になっている場合があったりしますね。また、前回の目録では帝国文庫という形でありますが、その中味が記載されていない場合があります。これもその中味を記載しておく必要があるわけです。地方出版の場合は「○○叢書」というのがあったりします。これも抜けている場合が多いですね。

川島  従来の目録ではそうした、シリース名、叢書名という欄がありませんでしたから、それが書名に入ったり入らなかったりしているので、何らかの統一をする必要があるわけです。

千本  先ほど、洋書について、大英博物館のシェルフマークがでましたが。和書に関しては国会図書館のものを利用するということはどうでしょうか。

川島  かなり使えますか。

千本  ええ、

横山  まあ、これは書誌的な問題ですが。重要な問題としては、この本がこの書庫にある来歴ですね。川島先生も蔵書の形成史という問題をお話しになっていましたが。そうしたことをチェックする必要あるわけです。これは丁寧に中を開いて見ていかないと分からないわけで、予想以上に時間がかかるというのが実感です。

○各資料間のリンク

松居  その購入の記述なんか日記にありますね。それから日記以外に、論文に使われて引用されたりとか、ありますねぇ。今のデーターベースだと、そいう関係のを書いていく欄がないわけです。これは蔵書だけでなく、書簡でもそうなわけです。例えば、ここでディキンズがこういう本を送りましたと書いてきていると。そうするとその本の名前で引けば、ディキンズの書簡が引けるようにすれば。全体に各資料間の有機付けができてくるわけですねぇ。ここまで調査が進んできたので、はっきりしてきた。

原田  ようやっと、そういうことができるところにきたということですね。

松居  関係資料欄を作って、そういうことを放り込んでいく必要があるわけです。

原田  それは、次のステージという、

松居  いや、今の段階でやっていかないと。あとで全部読み返さないといけないわけです。

原田  まあ、そうですね。

川島  蔵書の場合は、蔵書が目の前にあるだけですから、自分の家にカードを持って帰って、何かあったとき、そのカードに記入していくしかないわけです。資料の場合、資料を読みながらそれができるわけでしょうけど。

原田  それはケースバイケースでやっていって、どっかでチェックをかけていく必要があるわけです。

松居  チェックをかけるといっても一つの視点からのチェックではおいつかないわけですよ。

原田  ええ、だから、逆に複数のチェックが可能なような共通の土俵をつくらないといけないわけです。そのルールを考えておかないといけないので。

松居  今やると、中途半端になるというのは分かるんですよ。中途半端でもそれをやっていかないと、最後にソートをかけるというのが一面的になっていってしまうわけです。

原田  ああ、分かりますが。それもやりながらつくっていくということで。今の、データーの入力する状況では、気づいた範囲でそうしたデーターを入れているという段階なわけです。それぞれの調査者がカードに書いていただいたものをこちらは入力しますし。ある段階になったらチェックをかけていくということが必要になるんではないですか。データーを入力する側から言うと、各資料のデーター間をリンクさせていくのにはそれなりのルールや、腕力が必要なんです。まあ、それもたいへんで、

○菌類ノートについて

千本  話が変わりますが、キットボックス41箱を見ていたら、昭和でいうと16年ぐらいまでのノートで。最晩年の菌図のデーターが出てきて。1500ぐらい通し番号があって、何年何月にどこそこで採集したとかいうリストなんですね。英語らしきもので

松居  学名と英語ですね。

千本  たいそう重要そうなデーターで。

原田  それはやはり、萩原先生に、

飯倉  その点でいうと、そういうものは、萩原さん側に必ずしも提供されていないので。これは記念館にもそうしたノートがあるわけで。丹念そういうものをとっているのがあるわけで。情報としてはそうしたものが行くようになっていないわけで。

原田  萩原先生の方の段階は、菌類の図譜や標本のデーターベースが完成しつつあるようですが、それとつけあわせる作業が次になるわけですね。

千本  それは副本が二つあって、全部で3種類ぐらいあるわけです。晩年の熊楠にしては非常に丁寧に写してあるわけです。熊楠氏の自筆ですよ。同じ物が三冊あるわけですよ。だから、かなり力が入っているなって思うわけです。あの1500だけでも活字にしてもらえないかなぁという。

松居  やはり植物学関係の人にみてもらう必要がある。

川島  学名は読める人しか読めないですよ。

千本  そうですか。

原田  ええ。

松居  見てもらうとしたら、後藤先生ですか。あるいは土永先生は、蘚だからその方が分かるのかな。

原田  やはり専門となると、萩原先生でしょうかね。

飯倉  まあ、その目録がどういうものかということが分かることが大切で。マイクロにしているわけですから。その紙焼きしたものを部分的にでも萩原先生にみてもらって。それを活字にして意味があるかどうかというのは、中味を検討する必要があるわけです。

    それより全体の資料がまだ何かというのが、かなり確定していないわけですから。

千本  うーん、on……と始まるわけですから、どこどこの木の上でとか何年何月とか、そんなんばっかりだと思うよ。あと、番号があるわけで。

原田  ああ、その番号は、図譜の番号か、標本の番号の可能性がありますね。とすると、やはり萩原先生ですねえ。

千本  そうかな。うーん

原田  まあ、ちょっと最後、白熱しましたが。

一同  (笑)

原田  そういうところで、今回は。お時間ということで。

文枝  どうも、ありがとうございます。


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