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第15回南方熊楠邸調査

(1997. 4. 1〜 4. 5)

《ミナカタ通信8号 (1997. 6.10発行) 掲載》

調査状況

調査終了後(1997年4月5日午後2時より)、南方文枝さんを囲み調査の報告を行った。
(記録・編集 原田健一)

[生資料について]

飯倉  作業はこの前の続きですが。今回は記念館の目録を作成する都合もありますので、先に記念館にある資料と絡む、抜書・ノート類をみました。

武内  ようするに、アメリカ時代の写本・ノートの内容をみて、記念館のものと合わせると全体がどんな風になるか、書いた年代や、内容的な前後関係を分かるようにやったわけです。

松居  何か、新しい発見がありましたか。

武内  そうですね。えー、仏教を極めるにあたっての、勉強をするためにそうした哲学的な語彙をですね、日本語、英語、中国語、サンスクリット語をノートしてますね。これは英語で書かれている辞書を写している。あと、清音を英語表記するためのものですね。漢訳仏典を英語に表記するときの辞書を自分でつくっています。

飯倉  あと、「植物学ノート」と題したものです。これはロンドンに行ってすぐですが、アメリカ時代の標本ですね。購入したものも、そして自分で採集したものも分類し、一覧して表記したものですね。これは実際のものとどうなのか、というのもあるわけですが、これが使えると記念館のものを整理するときにもうまくいくかもしれません。

川島  ああ、それは蔵書の方にもありますね。前回田村さんが見つけたものにもありましたが、今回は『北米植物誌』という本で、これは何月何日にという風に書き込みがしてありますね。こうしたものとそのノートがどういう関係なのかということですね。

飯倉  そうしたのをまとめたのか。一度、比べるといいですね。

原田  邸の方にもまだ、アメリカ時代の標本がかなりありますので、後藤先生の進み具合もありますけど、合わせてみると面白いですね。

川島  そうすると標本、ノート、蔵書への書き込みというかたちで、熊楠がアメリカ時代何をしていたのかということが、かなり立体的に浮かび上がらせることができます。うんうん、 えーと、イギリスではどうですか。

松居  ほとんどやっていないですね。

中瀬  あー、粘菌は採っているでしょ。

松居  ええ。そうですね。ただ、中心は大英博物館の方ということですね。

[蔵書について]

松居  わたしの方は、ピンカートンの『旅行集』です。これはいろんな旅行記を集めたものですが、それに日本語で小見出し的にかなり書き込みをしています。

川島  熊楠さんが『水陸紀行』と言っているものですね。

松居  ええ。ロンドン抜書でも書き抜いているんですが。また、購入してからもやっているわけです。で、間違いなく、熊楠が読んでいるはずなのに、全然書き込みがしてないものもある。例えば、シェークスピア全集なんかは鼻毛がついてますし、読んでいるんですが、書き込みはないわけです。そこらへんの書き込みをするものとしないものとの、違いですね。ちょっと気になります。

原田  用途別というか。資料採集のためという部分と、楽しんで読むものというか。

飯倉  ノートとの関係もあるかもしれない。丁寧に写しているものもあるし。

[南方植物研究所について]

川島  えー、わたしがやっているのは、蔵書目録をより完全なものにするために詳細にみているわけです。また、蔵書に書かれた購入年月日、あるいは日記の記述等によって熊楠の蔵書の形成史を描けないかなあと思っているわけです。その点でですね、南方植物研究所のおりにどう蔵書を購入しよとしたかということに興味があるわけです。書籍カタログもそのための購入メモがありますし、例えばブレサドラの『菌類図譜』は元はばらのものなのですが、これを平沼さんに頼んで製本し、「南方植物研究所」という刻印をしている。たぶん、熊楠さんのなかで、自分の私的な蔵書と研究所の蔵書とわけて、蔵書の構想を考えていたと思われるわけです。

中瀬  今、川島先生から「植物研究所」の話がでたので、ひとつは研究所の蔵書ですが、これは田中長三郎の蔵書をあてるということがあります。

川島  ペンチッヒ文庫ですか。

中瀬  それもありますが、田中さんの蔵書ですね。

川島  あれはなかなかたいへんなものらしいですね。今は多分、台湾にあるのでしょうね。

中瀬  それをここにもってくるということで、蔵に棚をかけたわけです。

川島  ほう、それは何に書いてあるわけですか。

中瀬  日記にもありますし、書簡にもそれが出てきます。それから、これは最近みつけたのですが、その蔵書を運んだ沖仲士の回想録にそのことが出てきます。これは小山町の相川周諦という人です。

松居  その本はどうしたのですか。

中瀬  結局、送り返したんです。

川島  なるほど、田中長三郎さんは岩波講座の植物学に「泰西の本草学と本草家」という、長いものではないですが書いておりまして、古い本草書が写真に写されて載っているのですが、田中長三郎個人蔵のものが多いんです。それが今どこにあるのかというのが、ありますが。どうも、熊楠さんはそういう骨董的なものは嫌いかもしれませんな。今の時点で必要ないものはいらないと日記に書いてますしね。

中瀬  また、田中さんもアメリカに行く二年の間、自分の蔵書の置き所として物置代わりにしていたふしもありますから。

原田  それとこれは、図書館で安田君が見つけてきた昭和七年の田辺市の地図ですね。かなり詳しく、店の名前も載っています。

中瀬  ちょうど汽車が開通するときに記念にだしたものでしょうね。

松居  これをみると、田辺中学校は市役所のところなんですね。ああ、闘鶏神社のまわりもなにもないんですねぇ。

中瀬  いやあ、ぼくの家なんかは山の中ですよ。

一同  (爆笑)


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