(1996. 7.27〜 7.31)
《ミナカタ通信5号 (1996.9.20発行) 掲載》
調査終了後、南方文枝さんを囲み調査の報告を行った。
(記録・編集 原田健一)
川島 前回に引き続いて蔵書の調査を行いました。蔵書印の有無、購入日の確認等ですね。書き込みについては次の段階でということで考えていますからまだ、今の段階では細かくはみていません。集計してみないとはっきりとは言えませんが、全体の2/3ぐらいは済んだのではないでしょうか。
洋装和本の方はほとんどみていませんが、今回は御原さん、橋爪君、佐伯さんにお願いしました。今後、洋装和本も含めて全体を自分が担当するのかどうか分かりませんが、とにかく洋書についてまず終わらせたいと考えています。
それでですね、ふつう蔵書目録というのは、全体として「このような本がある」という事だけなのですが、熊楠先生の場合は、そういったのとは違ったものができると思うんです。購入の日付や郵便で着いた日などを、細かく書いてありますし、また日記の記載を補足すれば、先生のライブラリー形成史がわかるわけです。また今後の抜書調査や、論文中の文献の検索等が進めば、熊楠先生の学問の形成史がそのままライブラリー史として、みえてきます。「こうこうこうした蔵書がある」ということでなく、増殖し生成していく蔵書ですね。たとえば晩年まで蔵書を買っとるんですが、読んでいるのかなあと思ってみると書き込みがありますしね。先生は最後まで学問を続けたんですね。その意味でも、死んで今見ているような蔵書で止まった、と考えるほうがよいと思うんです。ある面でいえば、その止まってしまった蔵書から、その行くえをこちらで線を延ばして描くこともできるわけです。調査が進めば、そういう可能性の学として南方熊楠を捉えることができると思います。自分としては、そうしたものとして蔵書目録をつくってみたいですね。
原田 先生は本を買うにはたいへんなご苦労をなさったんでしょうね。
文枝 本がほしいときは味噌汁だけでいいと言ってましたね。平沼さんなんかに頼んで買ってもらっていました。
川島 蔵書は、はじめの頃は、一般的な入門書のようなものを幅広くたくさん買って読んでますね。1888年のある時期に、集中的に Humboldt Library を購入していますね。
橋爪 それをまた、東京専門学校にいる常楠に送ってもいます。「熊楠より常楠へ」と、記入してある本がありました。
田村 標本との関係でいうと、前回、フロリダの植物目録をつかって、熊楠が採集した植物については印を付けていましたが、今回はミシガン州の植物に関しても同じような記入がありました。ここらへんは標本との関係を確認できると面白いですね。あと、ヘロドトスなんかを丁寧に読んでいます。
御原 洋装和本では、民俗学に関する本に意外と書き込みが少なかったように思います。
川島 ペンチッヒ文庫の購入云々というのはどうなんですか。
原田 結果的に購入しなかったわけでしょ。
川島 ペンチッヒ文庫の目録かなんかは無いのかな。
飯倉 書籍の購入についての手紙がいっぱいありますから、それを調べれば分かるかも知れない。
中瀬 上松蓊宛の書簡も全部、翻字しているわけではないですからね。そこらへんのものもあるかもしれない。翻字するうえでもお互いそこらへんがうまってくると助かりますな。
飯倉 いままで分業でやってきたものが、ようやくつながってきた。
川島 蔵書を動態としてとらえるための、本の情報を寄せてください。
原田 それでは、生資料の方について飯倉先生。
飯倉 なにか新しい資料の発見は、特にあるわけではありません。こちらは前回に引き続いて岡本先生の書庫から出てきた『続々南方随筆』の直筆原稿を調べました。集計しないとはっきりしませんが平凡社版の『全集』に収録されていない原稿が、40くらいはありますか。
原田 それから岡本先生の書庫から土宜法竜宛書簡が出てきました。平凡社の全集の時に使って、戻ってきて岡本先生の書庫に置いてそのままになっていたものでしょう。平凡社でマイクロ化を行っていますが、原書簡の存在が確認されたのは助かりますね。
武内 写真の整理をしていると、写真の裏書きしてある人名をそのまま採って、実際に写っている人間と違う場合があります。やはり、もう一度見る必要がありますな。
原田 やはり、なかなか簡単には進まないですね。小峯先生の方はいかがですか。
小峯 今回はロンドン抜書のマイクロ化をするための調査をしました。けっこう日本語のメモが入っていますね。
それとロンドン抜書は傷みがはげしいですね。マイクロ化の作業が終わったら、もうあまり開かないほうがいい。
原田 マイクロ化作業後の保存処置については、武内先生と金山先生にいくつか案を提案してもらって顕彰会と相談したいと思います。
小峯 それから岡本先生の書庫から出てきた和本で熊楠先生か岡本先生のか判断しにくいものはとりあえず、保留の記号をつけて蔵書目録に加えた方がよいでしょう。
飯倉 そうですね。調査が進むと思ってもみないものが関連をもっていたことが分かる場合がありますから。岡本先生が購入したり、人から寄贈されたりしたものはどういう理由があるのか知る必要がありますね。
原田 新聞の切り抜きはだいぶかたずいたのかな。
山岸 ええ。だいたいファイルに入れ、あと作成してある目録と照合して切り抜きがどこにあるかチェックすれば終わりです。でも、かなりその作業は時間がかかると思います。
原田 切り抜きは全部残っているわけではないのが、残念だね。全体の2/3ぐらいが残っているのかな。
山岸 それでもかなりいろいろな傾向は分かります。年代によって少しづつ内容が変わっていってます。若い頃ほど、珍事や、猟奇的なニュースですね。それと女性の写真等が多いです。たぶん、南方熊楠における新聞切り抜きというのはまだ誰もちゃんと言っていないんじゃないのかな。
原田 課余随筆の第一巻、第二巻はほとんど新聞の記事の抜き書きだから、熊楠は生涯を通して切り抜きをしていたわけだね。
山岸 そうですか。
小峯 新聞の切り抜きは、日記に貼ってあるね。
川島 蔵書にも貼ってある。
安田 昭和3年の新聞切り抜きが妙に少ないと思っていたら、かなり日記に貼ってありましたね。
原田 新聞切り抜きは熊楠の研究のフィールドワークのノートといった役割かな。
山岸 川島先生が蔵書についておっしゃっていた、ありえたかもしれない熊楠の蔵書と同じに、ありえたかもしれない熊楠の研究世界を切り抜きから描けると思います。
安田 切り抜きはそれだけで独立して存在するだけでなく、日記や蔵書にといったぐあいにその所在にばらつきが在るんです。できるだけ情報を集約して、新聞切り抜きについても、最終的には一つのデータベースにしたいです。
熊楠先生は自分で切り抜いたのですか?
文枝 そうです。ほうぼうから新聞来てましたからね。ああ、朝日新聞はなかったですねえ。それから広告もとっていました。
中瀬 広告を切り抜くのは、「発明」に興味があったのでしょう。
小峯 顔の一部が似ているとかいって、切り抜きいているのがありましたね。フフフ
文枝 色の黒い子が好きだったようですよ。
原田 それでは標本について。昆虫はだいたい終わったのかな。
安田 標本に関しては昆虫標本の同定作業と、その整理は終了しました。昆虫はほとんど那智時代に採集したものでした。傷みがはげしかったなあ。
1900年代はじめの時期は、昆虫図鑑が日本で出始めた頃だそうで。収集したきりで途切れたんでしょうか。
川島 昆虫図鑑は、蔵書にもない。モスキート収集法があった。これは誰かからもらった書物のようだが。
後藤 熊楠は英国で植物や昆虫やいろいろ当時の新しい学の動向を身につけて帰ってきたわけだ。東京や京都でやっている連中に対して、すごい自負心をもっていたと思うんや。ところが、那智の実際のフィールドに立ってみると、ヨーロッパでやるような高度で分類するような植物や昆虫の分布のしかと違うことに気付いた。それで一度は、自信をなくしたんとちゃうかな。そうでないとこうした標本の集め方はでてこないんじゃないか。セオリーではかたずかない世界が目の前にあるということだよ。自然に対する畏怖心というかな。熊楠にはあったんちゃうか。
原田 そこらへん、もう少し熊楠のなかでの学問的な根拠をみる必要があるでしょうね。ある面で人文関係でも同じでしょう。目の前の人々から聞き書きしたりといったフィールドワークを、日本に戻ってからはじめるわけです。目の前の世界に対して、ロンドン時代とは違って目が開かされたということがあるはずなんです。
橋爪 植物標本は、また膨大な量があります。ほとんどすべての標本は、採集日・採集地・採集者の記載がないものが多いです。
原田 もらった標本が多いという話しだね。
後藤 そうした中に、熊楠先生の標本がなぜか混じっているんだ。やっかいですよ。
橋爪 標本しかないものについては、番号をつけ、その和名を確定する。標本を挟んでいた新聞の社名、日付を抜き書きし、とりあえずの採集日の推定ができるようにカードを作成しました。また、標本は古い新聞紙に代えて新しい新聞紙に挟んで、古い新聞紙はまとめて保管することにしました。
飯倉 『文学』で、来年の冬に出る号について南方熊楠特集をするということで、その編集の相談にのっているんだけど。ある日の熊楠というのはできないかって言うのだけど。調査としてはようやくいままで別々にやってきたものが、全体としてつながりはじめた段階だからね。どんな風にできるか。
原田 実際問題としてはもう少し、現在出されている資料だけでなく、かなり多くの未公刊の資料があることを知ってもらった方がいいでしょう。今は少ない資料であまりに多くのことを語りすぎてるとも言えるし、何かを言える程度には資料が出そろっているとも言えるわけです。そのためにかえって余分な憶測を生んでる部分もあるわけです。何があって、何がないのかはっきりさせる作業が第一歩目になります。その意味でもまず、記念館で目録を刊行するのは大きな前進となるでしょう。というわけで、次回は冬の記念館の調査になりますのでよろしくお願いいたします。