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◆内福地(うちふくじ)



※ この地図は、陸地測量部参謀本部発行の1/50,000地形図「中尾次」(大正12.5)を使用したものである

在:東村宮城(みやぎ)字内福地原(うちふくじばる)
地形図:国頭平良/国頭平良
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約50m
訪問:―

 

 大字宮城の中部、福地川とハラマタ川の合流部付近にある。現在は福地ダムの人造湖(福上(ふくがみ)湖)に水没しているが、離村はダムの建設前。なおスキャン画像右下にある建物の場所はサンヌマタと呼ばれる場所で、ここでは別に項目を設ける。
 以下は村史の記述を要約したもの。

内福地へ最初に入ってきたのは、約100年前に屋部(やぶ)(名護市)から来た宮里氏や首里から来た新垣氏など
(後述)
山仕事を主な生業とするほか、ムムガー(ヤマモモの皮。染料にする)の製造も行われていた。畑や水田もあった
熊本営林署の青年訓練所があり炭焼き窯や木炭の作り方・造林の方法を指導していたが、戦後米軍により焼かれ消失した
拝所は3箇所。下流側に2箇所、上流側に1箇所。上流のものは訓練所の山神が祀られたもの
福地川・ハラマタ川の水は、飲料や生活用水に利用されていた

 各戸の様子は以下のとおり。番号は本文のまま。

番号  屋号 転入 転出  備考 
1 ウンティンヤー 新垣 明治44年頃、首里より 昭和31年頃、那覇市安里(あさと) 旧姓は運天
2 アガリヤー 宮里 明治15年頃、名護市屋部より 不明  
嘉手苅 宮里転出後、村内高江より 戦前、村内宮城イノーガマ(いのがま)へ。戦後名護市田井良(たいら)  
諸見里 嘉手苅転出後、村内宮城魚(いゆう)より 戦後、魚へ。のち那覇市へ  
大嶺 魚より大宜味村田嘉里(たかざと)を経て昭和27年転入(諸見里転出後) 昭和35年、魚へ  
3   大嶺 昭和30年、魚へ 大嶺(No.2)の弟
4 テーラグヮー 平良 戦前、大宜味村大保(たいほ)  
渡嘉敷 村内宮城福地より 終戦後、福地へ  
与那嶺 本部町より 3年居住後、魚へ。のちイノーガマへ  
5   奥本 戦前、村内川田(かわた)より 戦前、川田へ  
6   玉寄 戦前、知念村【現・南城市】へ  
知念 国頭村楚洲(そす)より魚を経て転入 魚へ  
シロマ 戦後、本部町より 2、3年居住したのち昭和41年魚へ  
7 サンヌマタのページ参照

 


写真 福上湖

 

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