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◆国見平(くにみだいら)林業集落(仮称)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「内之浦」(昭和29.9)を使用したものである

在:肝付町北方(きたかた)
地形図:内之浦/内之浦
形態:谷沿いに家屋や施設が多数集まる
離村の背景:事業所の移動
標高:約200m
訪問:2011年12

 

 大字北方の西部、国見山南方の広瀬川上流部付近にある。固有の集落名は確認できず、便宜上この見出しとした。
 営林署の斫伐事業の従業員の集落で、事業所移動に伴い集落も移動。町誌によると昭和30年には後岸良(きしら)の蒲生迫(がもうざこ?)(※1)へ移動し、さらに辺塚(へつか)へと移動している。当時はトロッコがここから海沿いの水尻(みずしり)(※2)まで敷設され、材や木炭が船積みされていたという。また昭和13年には水害により従業員やその家族が犠牲になり、翌年慰霊碑が建てられたという。「町内出身者もあるが宮崎熊本等県外出身者が多い」との記述も。
 林道で会った方の話では、30年くらい前にはまだ残っている廃屋があったという。事業所は左岸にあったとのことだが、遺物がほとんどなく位置の特定はできなかった。また先述の慰霊碑のことも教えていただいたが、これも見つけられず。標高250m付近まで登ってみたが遺構らしいものはほとんどなく、学校の位置も不明。谷のそばで炭焼き窯の跡を1箇所見つけたのみであった。
 学校の名称および変遷は不明だが、事業所が移転した昭和30年に閉校したと考えるのが妥当か。

※1 別の記述に「内之浦営林署の斫伐事業所は国見平国有林、久保田川左岸万久郎一帯の国有林および辺塚付近の国有林にあった」という一節があり、万久郎付近の地名のよう。なお「がもう」のみにルビが振られている
※2 現在の水尻バス停付近

 


写真1 林道

写真2 谷

写真3 平坦地

写真4 金属製の何か

写真5 軌道跡?

写真6 炭焼き窯跡

写真7 何かの道具

写真8 集落上部より

 

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