◆七釜(ななかま)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「口永良部島」(昭和29.9)を使用したものである
所在:屋久島町口永良部島(くちえらぶじま)
地形図:口永良部島/口永良部島
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約150〜200m
訪問:2011年12月
島の東部、現在も火山活動が活発な新(しん)岳、および古(ふる)岳の東の麓にある。かつて硫黄の採掘に関わっていた集落。
以下は登山口付近にある「七釜集落跡地」の説明板(写真1)の全文(漢数字・算用数字の混在は原文のまま)。
七釜集落は、明治末期ごろに始まった硫黄採掘により開所された集落であるといわれている。
鉱山が全盛だったころは、戸数は四十戸前後あったらしい。硫黄精錬のために据え付けた釜が7基あったので、誰言うともなく「七釜」と呼ぶようになったという。
七釜は向江浜とともに硫黄の採掘と精錬で活気に満ちた集落だったが、昭和八年十二月二十四日、午前四時二十分の新岳大爆発により、死者八名、重軽傷者二十六名、焼失家屋三十八戸の大惨事を受け、翌9年一月十一日の再度の爆発により集落は壊滅した。
犠牲者のご冥福とこの地の安寧を心から願うのみである。
集落は登山口の東屋の裏手すぐ。ほとんど何も残っていないが、緩い斜面上には瀬戸物や壜、風呂釜といった生活の痕跡が僅かに見られる。かつては40戸前後ということなので、探索できなかった深い藪の中にも往時は家屋や施設があったのだろう。
なお島のパンフレットによると、古岳火口付近には石垣や牛馬による運搬のために整備された旧道の石積みが残されているという。
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