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◆小杉谷(こすぎだに)

 

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「屋久島東北部」(昭和21.11)および国土地理院発行の同地形図「屋久島東北部」(昭和48.12)を使用したものである

所在:屋久島町楠川(くすがわ)
地形図:宮之浦岳/屋久島東北部
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約660m
訪問:2011年12月

 

 安房(あんぼう)川中流左岸にある。大正から昭和に亘って、林業(伐採・造林)や製炭などに従事する人々が暮らしていた集落。
 広く知られるところの「小杉谷集落」はスキャン地図(昭和48年)の右下に示されている場所だが、戦前までは楠川分かれの旧斫伐事業所一帯(スキャン地図(昭和21年)の左下)が小杉谷と呼ばれ、先述の場所は「生産場」と呼ばれ区別されていたという(『世界遺産屋久島 亜熱帯の自然と生態系』より)。
 小杉谷の主な出来事は以下のとおり。参考は現地の年表および『上屋久町郷土誌』・『世界遺産屋久島 亜熱帯の自然と生態系』。

 大正10  鹿児島大林区署が「屋久島国有林経営の大綱」提示。本格的国有林事業が始まる
 大正11  森林軌道の工事開始
 大正12  屋久島国有林開発の拠点として小杉谷(楠川分かれ付近)に「安房官行斫伐所」が開設(※1)
 前年に着工した森林軌道(安房−小杉谷〔楠川分かれ〕間)が完成する
 大正14  安房官行斫伐所で九州初の機械による集材が始まる
 昭和19  戦争に伴う資材・労働力の不足により、小杉谷事業所閉鎖、営林事業停止
 昭和21  営林事業を再開。「安房官行斫伐所」を「安房事業所」と改称し、現在の小杉谷製品事業所跡に移転
 昭和28  「安房事業所」を「小杉谷製品事業所」と改称
 昭和31  小杉谷製品事業所で、九州初のチェーンソー導入
 昭和35  小杉谷・石塚の人口が540人となり、最盛期となる
 昭和44  森林軌道による屋久杉の運材が終了
 昭和45.8.18  小杉谷製品事業所閉鎖。小杉谷閉山式挙行


(その他特記)
 本格的な事業の開始以降、建材用の針葉樹・製炭用の広葉樹を伐採(製炭も行う)。樹齢800年以上の屋久杉は禁伐とした
 戦後は労働力の不足などから伐採量が振るわなかったものの、技術者の招聘や伐採方法の変更・奥部の開発等で戦前の水準に戻る
 昭和29年頃より製炭を廃止。製炭を行っていた各地の事業所(栗生ほか)を小杉谷に統合
 昭和30年代に入るとパルプ用の広葉樹の需要が高まり、40年代にかけて木材生産のピークを迎える。同時に針葉樹の伐採量は、材に適する森林がなくなっていったことにより減少(屋久杉が伐採対象となったのもこの頃)
 小杉谷のスギの伐採は昭和40年代前半でほぼ終了。事業所閉鎖後は、人員は安房や栗生に移転していった

 また小学校・中学校の沿革は以下のとおり。

(小学校)
 大正13  下屋久営林署安房官行斫伐所家庭教育場を、現在の小杉谷小中学校跡地に開設(※)
 昭和18.10  下屋久村立粟穂国民学校太忠岳(たちゅうだけ)分校となる(※)
 昭和22  下屋久村立粟穂小学校太忠岳分校と改称
 昭和36  下屋久村立安房小学校太忠岳分校と改称
 昭和38  上屋久町教育委員会へ移管および独立。上屋久町立小杉谷小学校となる
 昭和45.3  下屋久営林署の事業所廃止に伴い廃校

(中学校)
 昭和30  下屋久村立粟穂中学校太忠岳分校開校(※)
 昭和36  下屋久村立安房中学校太忠岳分校と改称(※)
 昭和38  独立校となり、上屋久町立小杉谷中学校と改称
 昭和45.7  下屋久営林署の事業所廃止に伴い廃校

※ 小杉谷事業所は下屋久営林署に属していた。下屋久村は、のちの屋久町


 訪問は荒川登山口より登山道を兼ねた森林軌道を利用。小杉谷橋(写真3)を渡るとすぐ右手に学校跡が見られ、広い校庭や基礎のみとなった校舎跡が残る(写真5-8)。軌道脇にある事業所跡は現在登山者の休憩所となっており(写真11・12)、東屋には集落の歴史が往時の写真とともに記されている。これらの周囲の山林内にも多数の遺構が残っているが、労働者の集合住宅と思われるものも多い。また集落から北東に向かって森林軌道の跡も確認できる(写真19)。なお大山祇神社が集落の対岸、石塚との分岐付近に存在(写真22・23)。
 ここからさらに上流、「楠川分かれ」の東側にも住宅があったようで、現地に立つ散策路の案内板にも「風呂釜跡」の文字が見える。あまり詳しく探索しなかったが、段になった平坦地がいくらか広がっていた。事業所が後の小杉谷に移転される前の、最初期の住宅だろうか。
 さらに軌道に沿って歩くと楠川分かれに到着。白谷雲水(しらたにうんすい)峡方面への登山口が分岐し、これを少し登ると道脇に少しの平坦地がある。最初の事業所が建てられていた場所であるようだが、他の建造物も僅かにあったよう。余談だが、「小杉谷山荘」は現在基礎のみが残り、その跡地には便所(バイオトイレ)が建てられている(写真28)。
 また安房には屋久島と屋久杉に関する町立の博物館「屋久杉自然館」があり、往時の林業の様子や小杉谷についても知ることができる。NHKの番組をもとに編輯された、「映像で見る小杉谷・石塚」と題したビデオ上映は必見。

 

≪軌道≫

写真1 荒川登山口付近

写真2 朽ちた車輛

写真3 小杉谷橋

写真4 軌道(小杉谷−楠川分かれ間)
≪集落≫

写真5 校門(奥は校庭)

写真6 校舎跡

写真7 学校の便所跡

写真8 「小杉谷小中学校」の碑。校歌も刻まれている

写真9 学校そばの遺構

写真10 同

写真11 軌道と事業所跡

写真12 東屋

写真13 軌道と施設入口

写真14 集合住宅跡

写真15 同

写真16 同

写真17 浴室

写真18 屋敷跡

写真19 軌道跡

写真20 「人の生活跡地」

写真21 炭焼き窯跡

写真22 段々畑跡

写真23 神社・鳥居

写真24 同・社殿
≪楠川分かれ付近≫

写真25 居住地

写真26 壜と鍋

写真27 旧事業所付近


写真28  同。竈?


写真29 山荘跡とバイオトイレ
≪参考≫

写真30 往時の集落(以下事業所跡の説明板より)

写真31 小杉谷橋

写真32 作業の様子

写真33 伐採の道具(以下博物館にて)

写真34 導入初期のチェーンソー。重さ20kg

写真35 スギの加工品

写真36 伐倒作業

写真37 トロッコによる搬出

 

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