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◆乙ヶ渕(おとがふち)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三田井」(昭和27.4)を使用したものである

所在:日之影町見立(みたて)
地形図:見立/三田井
形態:谷沿いの一軒家
標高:約620m
訪問:2023年12月

 

 大字見立の北部、たかはた谷(日之影川支流)沿いにある。
 たかはた谷左岸を通る車道(林道?)より下降し訪問。地形図に記された破線の道は判然としなかったが、最近開鑿されたばかりの作業道が谷まで続いていたため、これを伝い接近した。
 最近の地形図でも地名と建物が記されており、建物は現存しているよう。しかし訪問時はこのことをよく確認しておらず、家屋の手前(西側)の遺構類を確認して引き返してしまった。なお緩い谷を挟んで2箇所の墓地(いずれも戸高氏)が見られ、またこの谷沿いには石仏を祀った祠が見られた(写真9)。宅地に近い墓地および祠は管理されており、関係者が時おり訪問していることが窺える。

 町の広報誌「広報ひのかげ」によると、当地は戸高家1戸であったとのこと。かつては同家の先祖が発見したという乙ヶ渕鉱山があり、タングステン・錫などが採掘されたという。。
 町史によると、明治初期までは鉱山の仕事に従事しており、その後は焼畑で粟・稗・豆類の栽培や林業も行っていたとのこと。昭和36年頃までは和牛も飼育。昭和44年10月電灯導入、昭和50年代初期電話架設。
 
集落には杉ヶ越大明神の遥拝所がある。これは杉ヶ越(すぎがごえ)(大分・宇目町【現・豊後大野市】との境の峠)にある本宮が遠距離のため、戸高氏がその別宮を当地に設けたもの。
 また先述の石仏は地蔵尊で、戸高氏が嘉納(かのう)鉱山の採掘に際し祀り、のち当地に移された。
 
昭和20年頃の概略図には、林業に従事の戸高氏1戸が記されている。
 
なお奥にあった乙ヶ渕鉱山は、文化・文政の頃戸高家の先祖が発見したと伝わる(鉱山については木小屋のページを参照)。また水無の奥、嘉納谷にあった嘉納鉱山も、戸高家4代目による発見といわれる。
 読みは広報誌および町史のルビに倣った

 


写真1 地形図上の渡河部分?

写真2 付近の淵

写真3 集落に渡る橋

写真4 平坦地

写真5 農地跡

写真6 墓地

写真7 屋敷跡付近の遺構

写真8 墓地

写真9 祠

写真10 写真9付近の石塔。「奥村施主…」「熊猪獅子萬霊供養塔」「大正十年旧四月二十七日建之」とある

 

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