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◆出羽(いずるは)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三田井」(昭和27.4)を使用したものである

所在:日之影町見立(みたて)
地形図:見立/三田井
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約840m
訪問:2023年12月

 

 大字見立の中部北西寄り、日之影川右岸側の山中にある。
 最近の地形図では川の詰(かわのつめ)
地区方面より破線の道が延び、839mの標高点付近まで続いている。集落はこの終点付近で、訪問時もこの道を利用した。所々「出羽洞穴」の案内があり、これに従うと集落に到達する。
 現地では2箇所の屋敷跡を確認したほか、祠や数箇所の墓地が見られた。
 なお「出羽洞穴」(写真12)は集落から北西に離れた場所にあり、案内はあるものの道はやや分かりづらい。現地の看板によると、この洞穴は昭和39年3月に発見され、同40年から43年にかけて、南九州短期大学により3回に亘って発掘調査が行われたとのこと。旧石器時代から縄文時代までの遺物が発見されている。

 町史によると、かつては3戸。大正6年頃に2戸が転出し、残る1戸が農林業で暮らしていたが、昭和45年4月に上川(かみかわ)集落に移転したとのこと。農業は焼畑や畑作中心で、陸稲・粟・芋類・豆類などを栽培。ほか木地の製造や椎茸の栽培が行われていたこともある。
 集落には菅原道真を祭神とする天満宮があった。以前は出羽の3戸と夕ヶ鶴(ゆうがつる)の1戸が例祭で神楽を奉納していたが、社殿の老朽化・解体と氏子の減少により行われなくなった。
 また当地は県道が日之影川沿いにできるまでは、赤川(あかがわ)から煤市(すすいち)・夕ヶ鶴・
乙ヶ渕・奥村(おくむら)を結ぶ往還に位置していた。
 昭和20年頃の概略図では、谷川氏1戸が記されている。

 


写真1 祠

写真2 巨樹

写真3 屋敷跡

写真4 写真3外縁の巨樹

写真5 写真3付近の墓地(谷川氏)

写真6 倒潰家屋

写真7 写真6付近の墓地(谷川氏)

写真8 樹木と小祠。願主は谷川氏。「明治四十年正月二十四日」とある

写真9 写真8付近の墓地

写真10 道沿いの石仏と石塔

写真11 古い墓

写真12 出羽洞穴

 

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