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◆桑ノ尾(くわのお)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「豐岡」(昭和21.9)を使用したものである

所在:杵築市山香町日指(やまがまちひさし)
地形図:立石/豊岡
異表記:桑の尾・桑野尾
形態:谷沿いに家屋が少数集まる?
標高:約180m?(水面は約190m)
訪問:2023年12月

 

 大字日指の北西部、山蔵川の支流沿いにある。
 以下は町史より、ダム建設までの主な流れ。

 昭和10頃  駅館(やっかん)川流域の農業水利のため、農林省がダム建設を計画。現地の測量を実施
 昭和13.12  建設予定地(桑ノ尾・園ノ木(そんのき)・畑部)の関係者から、県知事にダム建設反対の陳情
 昭和14.11  建設予定地関係者により、建設予定地変更の建議書を上村村長に提出
   (戦争激化に伴い、建設計画は自然消滅となる)
 昭和23  再度測量が行われるが、着工には至らず
 昭和36  昭和33年夏の大旱魃を契機に、農林水産省が再度ダム建設を計画
 昭和37  桑ノ尾一帯をダム建設地に決定
 昭和39  ダム建設事業開始
 昭和40  1月、国営駅館川土地改良事業計画の公告あり。建設予定地関係者により、日指ダム対策協議会結成。のち町も日指ダム対策委員会を設置し、建設予定地関係者の支援・指導にあたる
 昭和42

 日指ダム対策協議会・農林省間で補償交渉妥結。11月25日調印式挙行

 昭和46

 堰堤工事完了(※本文中では3月だが、年表では12月となっている)
 昭和48.10  湛水試験開始

 水没戸数は8戸で、小野4・阿部2、渡辺・畔が各1。
 神社として大山祇命を祭神とする三島神社があったが、水没に伴い四国の三島神社に合祀。桑ノ尾を氏子としていた。
 また湖畔には、ダム建設に伴い整備された桑ノ尾墓地や昭和49年に建てられた「桑野尾水没之碑」があるとのこと。以下は町史より碑の全文。


 桑の尾地区は十二世紀末に開村されてより、六〇〇有余年幾多の変遷を経て、昭和四二年国営駅館川農業水利事業による日指ダムの湖底に水没するため、全戸離散し茲に集落の歴史を閉ず。地区繁栄の跡を偲び永く後世に伝えるために茲に碑を建て記念する。


 現地は大分農業文化公園内にあり、散策路より集落跡を見ることができる。訪問時は湖畔に1箇所の屋敷跡と瓦が集まった一角が見られた。現在は島になっている小山や集落後方の丘にも登ってみたが、集落に関するものは見られなかった。
 なお先述の記念碑は見つからず。公園の職員にも話を伺ったが、記念碑のことは知らないとのこと。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 集落跡を望む

写真3 屋敷跡と湖面

写真4 瓦

写真5 農地跡

写真6 左岸の農地。形状は往時のままであるよう

 

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