◆柿瀬(かきせ)
※ 明色部(暗色部は大平)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「耶馬溪」(昭和22.1)を使用したものである
所在:中津市耶馬溪町柿坂(やばけいまちかきさか)
地形図:耶馬溪東部/耶馬溪
形態:川の合流部に家屋が集まる
標高:約150m?(水面は約160m)
訪問:2023年11月・同12月
大字柿坂の南部、山移(やまうつり)川とその支流との合流部付近にある。現在は耶馬溪ダムの人造湖(耶馬溪湖)に水没。
当初は左岸の家屋群も柿瀬と見做していたが、文献やダムサイトにある「顕彰之碑」より、これは大平として別にレポートを設けた。
文献『湖底のふるさと』によると、離村前7戸28人。「顕彰之碑」によると、移転者は中島・中島・石田・中島・中島・建・中島・中島・武吉・園田・武吉・武吉・中島の各氏(※)。
宅地は完全に水没しているが、一部が支流沿い(柿瀬奥)に移転し数世帯が現住。柿瀬神社もここに遷座している。県道沿いには墓地(中島家)が見られたが(写真2)、柿瀬に関するものと思われる。なお県道の橋梁は「柿瀬大橋」で、読みは「かきせ」。
ダム建設の経緯などについては、尾ヶ篠のページを参照。
町史の小字一覧においては、大字柿坂ではなく山移に「柿瀬(かきぜ)」が見られる(地理的には大字柿坂を含んだ旧耶馬溪村ではあるものの、行政的には旧山移村の所属であったか)。
※ 数から鑑み、百田を含んだ世帯と思われる
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