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◆車谷(くるまだに)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「別府」(昭和23.3)を使用したものである

所在:玖珠町日出生(ひじう・ひじゅう)
地形図:日出生台/別府
異読み:くるまたに(橋梁〔車谷大橋〕)
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約550m
訪問:2023年12月

 

 大字日出生の中部北西寄り、日出生川沿いにある。
 玖珠町誌・および九重町史によると、付近に日出生台(ひじゅうだい)に陸軍演習場が設けられたことにより、当時その場内に居住していた農民の一部が当地に移転させられたとのこと(土地の買収は明治40年より)。
 また資料『ふるさと中須』によると、車谷はこの時に形成された集落で、立ち退きにより移住してきた集落は井出脇・中尾(なかお)・中畑(なかはた)の3地区。当時は演習場境界付近の日出生川沿いであったが、戦後の入植期に現在地(堤地区の西)に移転した。
 また
当地は米軍による接収が解除された後(昭和32年10月)に、地元住民の陳情により堤・小野原とともに演習場用地より除外。この除外地は昭和34年に開拓地として払い下げられ、同37年には入植者住宅や水田・畑が造られている。

 1960年代・70年代の航空写真では数棟の家屋や農地が見られるが、戸数はそれほど多くはない。
 左岸側では建物跡は確認できず。右岸側では複数の屋敷跡と農地跡を確認。最近の地形図では県道から分かれる石段と神社の記号が見られるが、社殿は現存せず。

 読みについては、町誌の大字・小字一覧に「車谷(くるまだに)」が見られる(ただし日出生村ではなく岩室村)。また小字ごとの地番を記した表でも、大字岩室に「車谷(くるまだに)がある」(地番2870-2932)。なお県道に架かる車谷大橋の読みは「くるまたに」。

 


写真1 屋敷跡?(以下左岸)

写真2 農地跡

写真3 屋敷跡(以下右岸)

写真4 屋敷跡

写真5 遺構

写真6 遺構

写真7 屋敷跡

写真8 
水路

写真9 農地跡

写真10 鳥居(参道の外に除けられている)

写真11 参道の石段

写真12 神社跡

 

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