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◆井出脇(いでわき)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「別府」(昭和23.3)を使用したものである

所在:玖珠町日出生(ひじう・ひじゅう)
地形図:日出生台/別府
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:演習場の開設
標高:約710m
訪問:2023年11月

 

 大字日出生の南部、松木川(玖珠川支流)の支流沿いにある。「日出生台(ひじゅうだい)」と呼ばれる台地の南部に立地。

 県史および町史によると、当地は日出生台陸軍演習場が設けられたことにより離村したとのこと。
 明治32年数人の陸軍野砲隊員が日出生台に踏み入れたのに始まり、同33年には小倉に本部を置く第十二師団の野砲隊の演習が行われ、同35年には歩兵隊の演習も始まった。同41年には日出生台演習場主管が設置されている。当時、日出生台には交通の中継基地であった今宿(いましゅく)(推定13戸)をはじめ秋塚(あきつか)(推定7戸)・平山(ひらやま)(推定10戸)・小野(おの)・中尾(なかお)・中畑(なかはた)・井出脇(推定7、8戸)・割子谷(わりこだに)(推定2戸)・米山(※1)・平谷・松小野・車谷中須などの集落があった。明治40年から43年の間に、国は民有地であった宅地・水田・畑・山林・墓地・溜め池などを演習場として正式に買収。集落は演習場の外、または演習場の片隅に強制立ち退きを命じられた(※2)。井出脇はこれまで3回の立ち退きを強制され、車谷・平家山に分散移転している(※3)
 戦後の昭和21年より、米軍および国際連合国軍が接収し演習場として使用するようになった。昭和28年からは保安隊(自衛隊の前身)が使用し、自衛隊に引き継がれ現在に至っている。
 町誌の大字・小字一覧には、日出生村に「井出ノ脇(いでのわき)」が見られ、その小名に「中尾」「中畑」が見られる。また小字ごとの地番を記した表では「井出脇(いでわき)」とある。読みは後者に倣った。

※1 町誌の大字・小字一覧では「米ノ山」の表記で、読みは「こめのやま」
※2 九重町誌によると、中須・井出脇・小野原・車谷にそれぞれ移転させられたとのこと
※3 県史の記述。町史では、明治40年に元井出脇在住者は長谷および堤方面に移転させられたという旨の引用が見られる

 現地では1箇所の屋敷跡を確認したほか、建物跡の平坦地もいくらか見られる。痕跡はあまり多くない。なお当地は演習場に隣接しており、道なりに北上すると門扉(写真5)に至る。

 


写真1 建物跡

写真2 屋敷跡

写真3 徳利

写真4 境界杭

写真5 演習場の門扉。井出脇道とある

 

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