戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆峠(とうげ?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「隈府」(昭和22.9)を使用したものである

所在:大津町古城(ふるじょう)
地形図:立野/菊池
形態:尾根上に家屋が集まる
標高:約530m
訪問:2024年5月

 

 大字古城の東部、堀ヶ谷川と峠川(いずれも合志(こうし)川複次支流)の間の尾根上にある。阿蘇方面に通じる二重(ふたえの)峠より、直線距離で西におよそ1.7q。
 1970年代の航空写真には、道路に沿って3棟の建物が並んでいるのが分かる。
 現在この跡地は鋪装された広いスペースになっており、跡形もない。ただし脇道を挟んで東隣には遺構や遺物が残る平坦地があり、ここも屋敷跡であった可能性がある。
 ほか県道と南に並行する
枝道との交叉点に、豊後街道の里数木である「七里木」の跡を示す標柱、屋敷跡より数10m東に石仏等が納められた祠、さらに屋敷跡裏手に管理された墓地が見られた。
 七里木跡のそばは大きめの平坦地になっているが、何か建物があった跡だろうか。また墓地では斎藤・金田といった姓が見られ、少なくとも2世帯、あるいはその状況から3世帯が暮らしていたと思われる。
 
なお最近の地形図では屋敷跡から県道を挟んだ向かいにも建物が記されているが、それらしい痕跡は見られなかった(写真7)。

 町史によると、慶長10(1605)年頃大津街道が完成し、寛永12(1635)年に参勤交代が制度化されると、旧平間城村内の南部地域(高尾野・新小屋・堀ヶ谷・峠)がにわかに賑わいを見せるようになったという。『大津手永水手鑑』(文化元〔1818〕年)には、堀ヶ谷に2軒、峠に5軒あったと記されている。
 また小字一覧には、大字古城に小字としての名称は見られないが、「当該地域の群小地名」として記載されている。

 余談だが、文献『熊本の街道と峠』によると、豊後街道は熊本城西大門の「札の辻」を起点とし、十五里木までが熊本県内に存在(波野村【現・阿蘇市】)。大分県に入り、大分市鶴崎までの間に三十一里木があったとのこと

 


写真1 道路脇の広いスペース(屋敷跡)


写真2 屋敷跡?

写真3 七里木跡の標柱

写真4 写真3そばの平坦地

写真5 祠

写真6 墓地

写真7 地形図上の建物の位置

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ