◆大野(おおの)
※ 明色部(暗色部は福岡県那珂川町の大野)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「背振山」(昭和21.10)を加工し使用したものである
所在:吉野ヶ里町松隈(まつくま)
地形図:中原/脊振山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約380m
訪問:2014年11月
大字松隈の北東部、那珂川支流の大野川左岸にある。川を挟んで福岡県那珂川町の大野と接する。五ヶ山(ごかやま)ダムの建設に伴い離村し、将来水没予定。小川内所属の小集落。
五ヶ山ダム関係に伴い編纂された文化財調査報告書によると、離村前で武廣4・宗雲1の5世帯4戸であったよう。氏神は小川内の山祇神社であり、全戸が小川内の東光寺(天台宗)の檀家。集落内には不動明王を祀った「お不動さん」があった。なお生活の様子については小川内と同様でこれを参照のこと。
以下は村七十年史より当地にあった学校の沿革(※1)。
(小学校)
(明治8) |
(吉田小学校の付属校として小川内に開設。東光寺を仮校舎とする) |
(明治18.3) |
(新校舎に移転) |
(明治25) |
(独立) |
昭和12.4.1 |
現在地に移転 |
昭和16(※2) |
小川内国民学校となる |
昭和22 |
小川内小学校となる(※3) |
平成17 |
廃校(小川内の碑より) |
(中学校)
昭和22 |
小川内中学校開校。小学校に併設 |
昭和23.4 |
独立校舎完成 |
昭和35 |
廃校 |
付近を通過したものの、離村の情報をあらかじめ得ていなかったため未訪問。
※1 最終的な位置は当集落のある大野川沿いではなく、小川内のある那珂川沿い(小川内より800m下流。上の地図画像で、北側の水田の記号のある場所)。しかし資料には大野に新校舎を建設したと明記してあるので、ここで取り上げた
※2 本文では昭和17年であるが、国民学校令施行は昭和16年
※3 当方による補足。この年学制改革
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