◆栗之下(くりのした)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「三島」(昭和22.2)を使用したものである
所在:四国中央市新宮町馬立(しんぐうちょううまたて)
地形図:伊予三島/伊予三島
形態:川の合流部に家屋が集まる
標高:約230m(水面は約230m)
訪問:2018年8月
大字馬立の北西部、銅山(どうざん)川と支流の中の川との合流部付近にある。日浦(ひうら)集落から銅山川を挟んだ対岸。
上流に隣接する伊予三島市【現・四国中央市】の魚簗場は新宮(しんぐう)ダムの湛水に伴い一部が水没しているが、当地も完全な水没は免れているよう。国道沿いに1軒の家屋が見られ、国道下にもいくらかの遺構が残されている。さらに地名表記の南東斜面、標高およそ320m付近にも宅地があり、国道から車道も分岐しているが、これは未訪問。
村誌には、新宮ダムの建設に伴い25戸が水没、5戸が残存とある。ダム建設の主な沿革は以下のとおり。
昭和45.2.25 |
水資源開発基本計画に、新宮ダム建設事業が追加される |
昭和45.3.1 |
伊予三島市【現・四国中央市】に新宮ダム調査所開設 |
昭和45.8.1 |
新宮ダム建設所に名称変更 |
昭和46.4.1 |
新宮ダム建設所移転 |
昭和46.7.1 |
新宮村、公共補償等の要望書提出 |
昭和46.11.29 |
工事用道路の施工について覚書締結 |
昭和46.12.30 |
補償基準発表 |
昭和47.11.7 |
一般補償基準妥結 |
昭和47.11.11 |
公共補償基準妥結 |
昭和48.3.27 |
公共補償について村と公団が協定締結 |
昭和48.4.5 |
ダム本体掘削工事開始 |
昭和48.6.4 |
水没世帯補償契約完了 |
昭和48.10.19 |
ダム本堤コンクリート打設開始 |
昭和48.11.10 |
少数残存世帯補償妥結 |
昭和49.3.27 |
新宮村公共補償調印締結 |
昭和49.4.16 |
定礎式 |
昭和50.1.28 |
少数残存世帯移転完了 |
昭和50.3.26 |
水没世帯移転完了 |
昭和50.5.13 |
ダム建設工事完了 |
昭和50.6.14 |
湛水開始 |
昭和50.10.29 |
竣工式 |
昭和52.3.25 |
地辷り対策工事竣工 |
昭和52.3.31 |
ダム建設事業完了 |
なお他の地域では日浦五味で9戸水没、古野で14戸水没、川淵で17戸水没、3戸残存となっており、水没世帯は計65戸。
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