戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆上小郷(かみこごう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大竹」(昭和21.11)を使用したものである

所在:岩国市美川町南桑(みかわまちなぐわ)(および岩国市天尾(てんのお)?・岩国市美和町下畑(みわまちしもはた)?)
地形図:渋前/大竹
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約160m(水面は約110m)
訪問:2017年8月

 

 大字南桑の南部、生見(いきみ)川(錦(にしき)川支流)沿いにある。現在は生見川ダムの人造湖(山代(やましろ)湖)に水没。
 離村時期については、町史では「南桑地区」の「上小郷」として昭和50年に無住となったことが記載されている。ただしただし同書のダムに関する記述では、昭和49年6月に移転完了とある(ダムの竣工は昭和59年3月)。
 軒数については、町史では「小郷地区」として7戸(ほか美和町【現・岩国市】3戸、岩国市1戸)。また現地の碑では美川町に該当するものは「椋野部落八戸」のみ(ほか美和町杉ヶ瀬36戸・柿の木原2戸・長浴(ながえき)4戸。岩国市松ヶ原(まつがはら)1戸)。この「椋野(むくの)」はいわゆる椋野地区そのもの(西椋野・東椋野・池ノ久保)ではなく西椋野の椋野団地を指すと思われ、これはダムによる移転者のために造成・分譲されたもの(当時の上小郷を指し「椋野」と呼ぶのは疑問が持たれるが)。

 これだけ見ると往時の戸数は7、8戸となりそうだが、先の地図画像では左右を二分するように南北に町境が通っており、美川町に該当するのは西半分、さらに南桑は川より北側(右岸)のみで、せいぜい道を挟んで2つの家屋があるのみ。対岸(美川町天尾(てんのお))と東半分(美和町下畑(しもはた)〔=右岸〕)を併せればこの戸数に及びそうではある。水没前、1970年代の航空写真を見ても同様で、南桑に該当しそうな人家は1戸程度。集落の戸数や範囲が判然としない。

 


(写真1 ダム堰堤)

写真2 集落付近(正面の谷が旧美川・旧美和の町境)

写真3 碑

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ