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◆牛小屋(うしごや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三段峽」(昭和32.11)を使用したものである

在:安芸太田町横川(よこごう)字牛小屋
地形図:三段峡
/三段峡
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約880m
訪問:2022年11月

 

 大字横川の西部、牛小屋谷(田代川支流)沿いにある。
 牛小屋谷の堰堤付近から現在の恐羅漢(おそらかん)キャンプ場の下端付近までがおよその集落の範囲。キャンプ場側からの訪問が無難ではあるが、この時は田代
より谷沿いをたどって訪問した。道は恐羅漢山方面へのトレッキングコースであるようで、道標もあり時おり整備されていることが窺える。ただし訪問時は荒れており、道が消失している部分が散見された。
 現地で特定できた屋敷跡は1箇所のみであったが、緩い傾斜地には段々になった農地跡が広く見られる。

 資料『広島県民俗資料』によると、明治末年頃から樽床(芸北町【現・北広島町】)が聖山(ひじりやま)に放牧場を作った頃、当地に放牧場を設けて6-11月の間、町内戸河内・上殿(かみとの)・那須(なす)・打梨(うつなし)方面の牛を預かり、賃料をもらっていたという。また横川の古屋敷(ふるやしき)のある農家は当地に家を構え、牛を預かりながら開墾。分家を出し、耕地を1町5反にしていたという。
 また書籍『西中国山地』には、
「オオキビレを越している径は、牛小屋の農家の子供の通学路であったが、今は通る人もない。牛小屋には四軒の農家があった」という記述がある。なおオオキビレは、中山(=山の名)と地形図で966mの標高点のあるピークとの間にある鞍部で、これを越えると本横川に降りる。
 なお所属の字は町史の字図に拠った。

 


(写真1 牛小屋谷にて。道標)

写真2 道?と石垣

写真3 谷と石垣

写真4 屋敷跡

写真5 写真4にて。遺構

写真6 堰堤と貯水部

写真7 石積み

写真8 農地跡

写真9 何かの遺構

写真10 キャンプ場の一部

 

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