戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆樽床(たるとこ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三段峽」(昭和32.11)および同「木津賀」(昭和33.1)を使用したものである

在:北広島町西八幡原(にしやわたはら)・東八幡原(ひがしやわたはら)
地形図:三段峡
/三段峡 木津賀/臥龍山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約740m(水面は約740m)
訪問:2013年5月・2022年11月

 

 大字西八幡原および東八幡原の南部、柴木(しばき)川沿いにある。現在は樽床ダムの人造湖(聖(ひじり)湖)に水没。
 右岸堰堤近くには芸北民俗博物館(写真4)があり、樽床および八幡(やわた)地区の民具等を展示(訪問時は休館)。また移築された民家が「清水庵」と称し併設されている(写真3。訪問時は雪害により立入禁止)。その隣には「西樽床報徳社」(※)
を記念した小さな公園(写真2)があり、功労者後藤吾妻氏の胸像(「離郷者望郷之碑」を兼ねる)がある。碑によると、昭和32年73戸がダム建設のために離散。内訳は小笠原18・後藤9・藤原6・和田5・清水4・兒高4・由茅4・斎藤3・小田2・桧2・平田2・平馬2・池田・出上・岩本・上田・柏木・吉瀬・佐々木・中場・福田・堀田・迎井各1。
 また湖畔には別荘と思われる管理家屋が数戸散在する。一瞥する限り、湖畔から往時の痕跡は認められなかった。

※ 後藤吾妻氏が創設した、山村僻地住民の相互扶助を目的とした組織(社団法人)。集落の解散まで道路の敷設や施設の建設、開墾等に励んだ。設立当初は「西樽床三才記念報徳社」

追記:2013年12月、HEYANEKO氏より「樽床小学校」が存在していたという旨の報告がありました。「全国学校名鑑」には昭和32年までの児童数の記載があり、以後は記載がないためダム建設の際に閉校したのではないかとのことです(なお昭和34年3月以前の閉校ため、「廃村と過疎の風景」のリストには入っていません)。


 2022年再訪。墓や水没を免れた屋敷跡・農地跡を新たに確認し、改修を終えた移設民家も再び訪れた。博物館の説明書きによると、移設した民家は樽床では典型的な形式である「中門(ちゅうもん)造り」で、このうちもっとも古い清水(しみず)氏のものが選ばれている(天明年間〔1781-89〕)という。民具および家屋は、「樽床・八幡山村生活用具おとび民家」として国の重要有形民俗文化財に指定されている。
 また1960年代の航空写真には左岸に家屋ではない何かの建物が写っており、その基礎が今でも見られる(写真13・14)。

 


写真1 樽床ダム
※ 以下2013年撮影

写真2 園地(中央に碑・胸像)

写真3 移築民家
※ 以下2022年撮影

写真4 博物館

写真5 集落跡を望む

写真6 農地跡。正面奥には多くの宅地が水没

写真7 支流の道。木柱には「ひらきばし」とある

写真8 屋敷跡

写真9 浴槽

写真10 建物跡(屋敷跡?)

写真11 墓

写真12 墓(小笠原氏)

写真13 何かの施設跡

写真14 同

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ