◆天神町(てんじんまち)
所在:広島市中区中島町(なかじまちょう)
中島町の東部で、元安(もとやす)川沿いの街区。第二次世界大戦末期の昭和20年8月6日、米軍による広島市への原子爆弾投下により潰滅した。 中国新聞社による「平和記念公園(爆心地)街並み復元図」(※1)によると、北組には呉服店や材木店・履物店・洋服店・タクシーなどといった多数の商店が建ち並んでいるほか、医院(産婦人科・小児科・歯科等7軒)や旅館もある。新橋付近には公設市場がある。南組には清岸寺・教念寺といった2軒の寺院のほか、天満宮、そして複数の商店が見られる。街区の中心には、南北に大通り(天神町筋)が通じている。 ※1 昭和20年8月6日の爆心地の街並みを、平成9年5月から旧住民や遺族の協力を得て、居住および建物強制疎開(立ち退き)、移転を直接に確認した世帯・事務所を復元したもの 以下は町の跡地にある説明板より。
町の様子(大正末期〜昭和初期頃) 被爆・その後
※2 〓は木へんに「沛」の右側。こけら
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かつての町域内には、現在は平和記念資料館(東館)・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・被爆遺構展示館といった施設や、被爆したアオギリ、旧天神町北組慰霊碑・ノーマンカズンズ氏記念碑・峠三吉詩碑などといったものがある。
引き潮になれば上流から長い筏が流れ、大きな干潟が現われてエビをすくい、貝を掘る等そこら一帯は子供達のよき遊び場になりました。
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写真1 対岸より旧街区を望む(左の建物は平和記念資料館東館) |
写真2 天神町説明板 |
写真3 現地の風景 |
写真4 原爆死没者追悼平和祈念館 |
写真5 旧天神町北組慰霊碑。左は「北天神町原爆犠牲者芳名」、右は「天神町北組の跡」の碑文 |
写真6 当時の遺構。奥が隣家との境界。右が道路に面した部分。左下は炭化した畳や板材(被爆遺構展示館にて) |
写真7 赤十字社社員の表札。当該人物は写真5の犠牲者芳名に記載(平和記念資料館にて) |
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かつての町域は、現在は北側は平和大通り、南側はビル街や病院となっている。マンションには多数の世帯が居住。
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写真8 対岸より旧街区を望む |
写真9 清岸寺跡付近。右のビルは写真8に写っているもの |
写真10 旧天神町南組慰霊碑 |
写真11 広島市立高女原原爆慰霊碑 |