◆木挽町(こびきちょう)
所在:広島市中区中島町(なかじまちょう)
中島町の南部にある街区。北は材木町、東は天神町南組、西と南は中島新町(―しんまち)に接する。第二次世界大戦末期の昭和20年8月6日、米軍による広島市への原子爆弾投下により潰滅した。 市史で引用する『知新集』(文政5〔1822〕年完成の地誌)によると、当時家数36、人数334。大工13人、〓葺(※)5人、木挽3人、桶屋2人、畳刺1人、指物師2人、横木挽1人、傘張4人。 ※ 〓は木へんに「沛」の右側。こけら
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写真 町の跡地にて。交叉点内は西福院、右のビル街には持明院および福寿院があった |