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◆笹ノ茶屋(ささのちゃや)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「伯母子嶽」(大正2.11)を加工し使用したものである

所在:有田川町上湯川(かみゆかわ)
地形図:護摩壇山/伯母子岳
形態:峠の一軒家
標高:約1,080m(峠)
訪問:2022年5月

 

 大字上湯川の東部、護摩壇山(ごまだんざん)の北西およそ3.3qの場所にある。奈良県野迫川村との境界となる稜線上の峠にある。
 町誌によると、当地は高野山から熊野へ通じる古道「奥辺路」と、野迫川村弓手原(ゆみてはら)方面から和歌山に通じる道が交わる交通の要衝であったという。現在の国道371号(高野龍神スカイライン)の開鑿により面影は残っていない。江戸期から昭和12年頃まで何代も受け継がれ経営されていた。『紀伊名所図会』からの引用では、「笹茶屋、焼け笹の辻ともいう。…(略)近世高野越より龍神温泉に至るもの、六里が間宿所なくを憂うるを以て湯本より此の地に一戸を建てて、入湯の客舎とす。…(略)」とある。

 町誌では「展望台から国道を護摩壇山方向に10数メートルほど進んだ辺りが元の所在地」とあるが、地形や往時の道筋を鑑み展望台(笹の茶屋園地。写真1)のある交叉点から護摩壇山方向に150mほどの地点と推測。ここから古道が分岐しており、「右 かうや 左 わか山」などと記された木製の道標も立てられている(写真3)。一側面に記された「すぐ里う志ん」とは、「すぐ龍神(=現在の田辺市龍神村)」の意か。なお道標の実物が「清水町ふるさと創生館」に保存されている旨が記されており、かつての道標の代わりに設けられたものであるよう(※)。また特徴的なスギの木立が平坦部の縁にまとまって見られ、これは茶屋の名残である可能性がある(写真4・5)。茶屋推定地の奈良県側の斜面にやや古めの陶片が複数見られるが、壜も多く混在しており茶屋があった当時のものか、後年になり遺棄されたものであるかは不明(写真7・8)。

※ 町誌に「笹の茶屋の辻に建てられていた道標」の写真が掲載されており、「右 かうや 左 わか山」と記されていることが分かる

 


写真1 笹の茶屋園地。笹ノ茶屋峠の三叉路にある


写真2 茶屋跡付近?


写真3 道標。先に解説したもののほか、「施主 和州下市 油屋藤助」「文政元寅七月五日 取次 金剛山奥道 新村源右衛門」と記されている


写真4 スギの木立(奈良県側)


写真5 同(和歌山県側)


写真6 古道


写真7 陶片


写真8 同

 

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