◆十丈(じゅうじょう)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「栗栖川」(昭和28.6)を使用したものである
所在:田辺市中辺路町大内川(なかへちちょうおおうちがわ)
地形図:栗栖川/栗栖川
アクセント:ジュージョー
形態:山中に家屋が集まる
標高:500m前後
訪問:2008年7月
富田(とんだ)川・巨鼇(こごう)川に挟まれた山中、十丈峠の付近の集落。かつては熊野九十九王子(おうじ)のひとつ、十丈王子があり、昭和40年代までは数戸の民家があった。
ルートはいくつかあり、大字大内川の下地(しもじ)集落付近より十丈又(じゅうじょうまた)集落を経て約2.8kmとなっているのをはじめ、大字大川(おおかわ)・高原(たかはら)からは十丈峠付近まで車道もつながっている。
以下は案内板より抜萃。
平安・鎌倉時代の日記には、地名は「重點(じゅうてん)」、王子社名は「重點王子」と書かれています。(中略)江戸時代以降、十丈峠、十丈王子と書かれるようになった理由ははっきりしません。かつてこの峠には、茶店などを営む数軒の民家があり、明治時代には王子神社として祀っていましたが、その後、下川春神社(現、大塔村下川下春日神社)に合祀され、社殿は取り払われました
集落は十丈王子よりも低い場所にある。道路沿いに屋敷跡(写真1)が1箇所と耕地跡、少し離れた場所に灯籠と石仏があり(写真2)、斜面を下ると緩やかな傾斜と平坦地が見られる。さらに下った場所に廃屋(写真5)と耕地跡(写真7)が見られた。
以下は出身者(昭和23年生)から伺った話をまとめたもの(2010年6月)。
覚えている範囲で4軒。姓は小松(こまつ)・溝上(みぞうえ)・後(うしろ)・宮原(みやはら)。ただし古くからの家ではなく、すべて転入したもの。さらに以前にはもう2軒あった
昭和40年代後期、最後の1軒(小松家)が転出。かつての旅籠であったため(後述)家屋を保存する向きもあった
小松家の以前の住民は中谷(なかたに)氏といったが、熊野参詣者のための旅籠を営んでいた。同時期の居住者に松葉(まつば)家がある
十丈王子付近の古い墓地は、江戸時代?この一帯の有力者であった愛洲(あいす)氏のもの。十丈にも居住か(写真14)
古くからの主な生業は炭焼き。のち植林や木の搬出など。田畑も作っていた
王子付近の平地はすべて田だったが、王子脇の一角は地元の人が「ゴテンヤシキ」と呼び、決して手を加えなかったという。「ゴテンヤシキ」は、かつて上皇が行幸の際に寝泊まりをした場所。現在も基礎が残っている
現在の車道が集落まで延びたのが昭和42、3年くらい。それまでは大川(おおかわ)の上地(かみじ)まで山道を登り下りしていた
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