◆小代(こだい)
※ この地図は、地理調査所発行の1/25,000地形図「高野山」(昭和26.7)を使用したものである
所在:五條市大塔町小代(おおとうちょう―)
地形図:猿谷貯水池/高野山
形態:山中に家屋が集まる
標高:約630m
訪問:2019年5月
大字小代の中部、十津川(丹生(にゅう)川支流)右岸側の山中にある。国道168号沿いには大字小代に属し現住の小代下(こだいした)地区(=山際(やまさい/ヤマッサイ))があるが、ここでは山中の小代本村について扱う。
訪問は阪本(さかもと)方面より。地形図で記されているとおり、実線の道から先は徒歩となる。
訪れていた元住民、および阪本で伺った話によると、かつては17、8軒。無住となったのは平成10年代とのこと。生業は林業や農業(畑)で、斜面に拓かれた畑では主として蒟蒻、ほか生薬のトウキ(当帰)を栽培していたという。水田は皆無で、昔にごく僅かあった程度ではないかとのこと。谷水を利用しワサビが試作されていた時期もあったが、これは軌道に乗らなかった。神社はないが、寺院として道全(どうぜん)寺があった。通学は阪本小学校および天川村の塩谷中学校であった。
最近の地形図でも複数の建物が記されており、現地でも管理家屋や廃屋が複数見られた。集落中ほどの尾根上にはイチョウの大木と鐘楼が残されており、ここが寺院跡。以下は鐘楼脇に建てられた「道全寺記念碑」(平成6年3月設置)の全文。
ここ小代の地は、文明九年に本願寺第八代門主・蓮如上人が教化の旅の途中お立ち寄りになり、浄土真宗のみ教えを伝えて下さいました。
小代の祖先たちはそのみ教えに帰依し、喜びを子孫に伝えてゆくべく道全寺を建立しました。
依頼五百十七年間、当地は聞法の道場として大切に護持してきましたが、過疎化により平成六年四月一日をもって、道全寺は大塔村・光圓寺に合併しました。
ここにその旨を書き記します 合掌
また鐘には増田(京都)・乾・竹原・山本(以上大阪)といった人々の名が記されているが、これらは往時の住民と思われる。なお鐘は大東亜戦争の際に金属資源として供出され、昭和24年7月に再鋳された旨も記されている。さらに山号が「光臺山」であることもここで分かる。
なお「角川」によると、大字としての小代は近世の吉野郡小代村。明治22年大塔村の大字となる。明治期は馬鈴薯・芋・大根・蒟蒻が主な産物であったことが分かる。ほか豆類や麦類がいくらか栽培されていたよう。
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