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◆大浜(おおはま)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/10,000地形図「尼崎西部」(昭和6.5)および同地形図「布屋」(昭和6.5)を使用したものである

所在:尼崎市大浜町(おおはまちょう)二丁目
地形図:大阪西北部/大阪西北部
離村の背景:災害
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:2022年12月

 

 江戸時代に開拓された「又兵衛新田」にあった集落。現在の大浜町二丁目の東部に当たる
 
ここでは資料の又兵衛新田(のち大字又兵衛)の記述のうち、特に大浜について言及している事柄について触れる(又兵衛新田・大字又兵衛の詳細については又兵衛のページを参照)。

 市史によると、昭和9年9月の室戸台風の際に丸島とともに流失したとのこと。
 同書の小字図によると、当地は大字又兵衛(当時)の西部で、大浜宮ノ先(―みやのさき)・大浜宮ノ前(―みやのまえ)・大浜屋敷前(―やしきまえ)・大浜東中筋(―ひがしなかすじ)・大浜中筋(―なかすじ)・大浜西中筋(―にしなかすじ)・大浜西高洲(―にしたかす)・大浜東高洲(―ひがしたかす)といった小字があり、かつての宅地もこれらの中に収まっている。
 
なお天明3(1783)年、又兵衛新田地内の未開墾地に「大浜新田」が開拓されたが、その範囲は概ね現在の大浜町一丁目・二丁目の北部で当集落の範囲とは異なる。

 現在集落の跡地は工業地帯の一角で、往時を窺わせるものはない。県道沿い、又兵衛の南西端に当たる位置には「八幡神社故址」の石柱が立ち(写真2)、昭和36年10月7日、元浜町八幡神社へ合祀された旨が記されている。また「大浜氏子中」とあり、当地が関わっていることが窺える。

 


写真1 集落跡(推定地)を南西端付近から見る

(写真2 神社跡〔又兵衛付近にて〕)

(写真3 八幡神社合祀先の元浜八幡神社)

 

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