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◆又兵衛(またべえ)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/10,000地形図「尼崎西部」(昭和6.5)および同地形図「布屋」(昭和6.5)を使用したものである

所在:尼崎市大浜町(おおはまちょう)一丁目
地形図:大阪西北部/大阪西北部
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:2022年12月

 

 江戸時代に開拓された「又兵衛新田」にあった集落。現在の大浜町一丁目の西部に当たる
 
新田内の集落には大浜も所在していたが、ここでは別にレポートを設けた。以下、特に断りがない限り又兵衛新田(のち大字又兵衛)全体についての解説とする。

 市史によると、又兵衛新田は貞享元(1684)年に西新田地内に開村した新田。その範囲は概ね現在の元浜町(もとはまちょう)・大浜町一丁目北部と二丁目・中浜町(なかはまちょう)西部の付近。うち現在の大浜町の辺りは天明3(1783)年に大浜新田、中浜町西部の辺りは文政13(1830)年に酉(とり)新田、大浜町二丁目の辺りには未(ひつじ)新田が開発されている。また大字としての又兵衛は、昭和17年4月より同27年7月まで存在(※)。現在の大浜町・扇町(おうぎまち)・中浜町・丸島町(まるしまちょう)のそれぞれ一部に当たる。
 同書の小字図によると、又兵衛本集落は大字又兵衛(当時)の北部で、字壱ノ坪(いちのつぼ)・弐ノ坪(にのつぼ)・西高洲(にしたかす)・東高洲(ひがし―)の辺りになるよう。
 農業のほか、平左衛門(へいざえもん)新田沖を漁場とする漁業も行っていた。
 明治4年、連日の大雨と高潮により又兵衛新田では死者119人を出した。また明治30年には武庫(むこ)川の堤防が決潰し、道意(どい)新田・浜(はま)新田・又兵衛新田などに浸水、大きな被害をもたらした
 「角川」によると、天保9年の「御巡見様御通行御用之留」に家数18、人数94。また明治24年23戸117人。

※ ただし「角川」では、明治22年から大正6年まで大字又兵衛新田、大正6年から昭和22年まで大字又兵衛

 また大庄村誌(※1)によると、新田開発は尼崎藩の士族である又兵衛(瓦屋又兵衛と称した)によるもので、その功績が地名として残されている。開墾地一帯は元来尼崎の和泉屋(本崎氏)の所有であったが、集落の発達に伴い次第に住民たちの所有となり、のちすべて本崎家の手を離れた。又兵衛の子孫は代々瓦本を名乗ったが、明治初年に松本姓とし現在(※2)も居住。分家に瓦本氏がいる。
 新田は
尼いも(※3)の本場として、また棉・麦・大根・人参の産地として有名で、農業集落として発展した。
 明治頃までは土着の住民40戸程度であったが、大正初期
(※4)にリバーブラザーズ株式会社の石鹸工場が建設されると従業員が各地から移り住み、戸数も増加した。
 昭和9年9月の室戸台風の際には数戸の家屋が流失したものの、住民は避難していた者が多かった
(※5)(この時大浜は潰滅)。その後周辺一帯で行われた区劃整理と工場建設によって、農地は数年のうちに運河や道路、工場敷地となった。

 字一の坪(※6)には、応神天皇を祀った村社八幡神社があった。境内社に伏見稲荷大明神を祀る。明治6年村社に列せられた。奉祀の時期は不明。又兵衛新田開発当初は大浜新田に祀られていたが、明治29年の高潮で流失。その後字樋ノ口(※7)に移したが、昭和9年の風水害で荒廃した。区画整理のため立ち退きとなり、現在の二の坪(※6)に移し、本殿・拝殿も新築された。

※1 大庄(おおしょう)村は、現在の尼崎市の南西部にあった村。昭和17年尼崎市に編入
※2 昭和17年刊行。同書の大庄村全図には、又兵衛地内の
大浜・臨海部の丸島は既に消滅しているものの当地は集落として存続している
※3 尼崎発祥の甘藷。伝統野菜
※4 市史では明治43年
※5 別の記述では、「土着の数戸を除きほとんどが倒潰流失し、多数の死傷者を出した」とも。ただし「昭和九年風水害要図」では大浜・丸島は「家屋流失」、又兵衛は家屋流失の範囲が迫りながらも「床上浸水」となっており、甚大な被害は免れたという内容に信憑性を置いた
※6 見出しでは一の坪、本文中では二の坪とあり、どちらであるかは不明
※7 「樋ノ先」のことと思われる。同書の小字の解説でも「樋ノ先」が見られる(市史の小字図では「樋先」の表記)


 現在集落の跡地は工業地帯の一角となっている。かつての大字又兵衛の南西端に当たる位置の県道沿いでは、「八幡神社故址」の石柱(写真2)が見られた。これには昭和36年10月7日に、元浜町八幡神社へ合祀された旨が記されている(ただし「大浜氏子中」とある)。

 


写真1 集落跡(推定地)を南東端付近から見る

写真2 神社跡


写真3 又兵衛抽水所(旧集落の北の外れに位置する)


写真4 かつての田園地帯

(写真5 八幡神社合祀先の元浜八幡神社)

 

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