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◆森ノ谷(もりのたに?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「五條」(昭和33.7)を使用したものである

所在:河内長野市滝畑(たきはた)
地形図:岩湧山/五條
形態:山中に家屋が散在する
標高:約620?〜850m
訪問:2023年5月

 

 大字滝畑の南東部、森ノ谷(千石谷支流)の周辺にある。
 常住の集落ではなく、かつての特産品である凍豆腐(高野豆腐)の製造に伴い季節的な居住が行われていた地。

 資料『阪神大都市圏の土地利用』では、和泉山脈北斜面で盛んに行われていた凍豆腐製造の拠点として、醤油谷とともに挙げられている。製造期間は12月下旬から2月下旬の厳冬期であった。
 また資料『凍豆腐の歴史』によると、文化年間(1804-1818)には五葉谷・
醤油谷中ノ谷などとともに複数の豆腐小屋が建てられていたことが分かる。この頃製造従事者たちは、森ノ谷付近の山頂に森の宮神社を祀ってこの守護神を中心に集結した。
 ほか凍豆腐の製造に関する詳細は、
醤油谷のページを参照。

 訪問は、上の地図画像で地名の上に記された尾根沿い、およびその北西の尾根沿いを除いた建物の記載箇所(未訪問箇所は見落としもしくは時間的な制限による)。
 まず谷の最上流部、府県境の稜線付近で1箇所の小屋跡と取水設備の跡地?を確認。稜線上には先述の神社と思われる祠が現在も祀られており(写真5)、訪問時は祭事が行われた直後であった(なお先の小屋跡は、この参加者の1人に教えていただいた)。
 続いて東部の尾根上はまとまった遺構が見られ、豆腐小屋跡は2軒ほどあったよう。
 千石谷との合流部では、1960年代・70年代の航空写真ではまとまった数の建物が写されている。最近の地形図でも建物が記されているが、これらは既にない。標高も低く比較的遅い時期まで建物が残されていることから、豆腐小屋との関連は不明。

 


写真1 豆腐小屋跡(以下最上流部〔府県境稜線付近〕)

写真2 写真1の遺構

写真3 写真1にて。石臼

写真4 取水設備の遺構?

写真5 稜線上の祠

写真6 豆腐小屋跡

写真7 豆腐小屋跡

写真8 写真7の遺構

写真9 取水地?

写真10 写真9付近にて。陶片

写真11 林道と平坦地(以下合流部)

写真12 写真11付近の遺構

写真13 敷地の擁壁

写真14 石垣

 

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