◆保月(ほうづき)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「彦根東部」(昭和26.9)を使用したものである
所在:多賀町保月
地形図:高宮/彦根東部
アクセント:ホーズキ
形態:谷沿いに家屋が多数集まる
標高:約600m 訪問:2008年7月
芹(せり)川と犬上(いぬかみ)川に挟まれた山中、県道238号の終点にある。最近の地図でも道の両側に多数の建物が見られる。
近世の犬上郡保月村。明治22年脇ヶ畑村(のち多賀町)の大字となる。
寺院で、設備の補修のために訪れていたかつての住民数人に話を伺うことができた。以下は話の概要。
現在は1軒(大森氏)が4〜12月に滞在。無人になったのは平成17、8年くらい。200年くらい前には100軒以上の家があった。戦後に50軒くらい、平成10年くらいに1、2軒。
旧犬上郡脇ヶ畑(わきがはた)村の中心地で、役場、学校(脇ヶ畑小学校・多賀中学校脇ヶ畑分校)、郵便局のほか旅館や駐在所、商店があり賑わっていた。
炭焼き・養蚕・畑作が主な生業。水に乏しいため田はない。畑ではダイコンやサツマイモなどを作っていた。冬は草履・草鞋・俵を編んでいた。雪が多い。
昭和24、5年くらいに車道が開通。それまで栗栖(くるす)(芹川流域の地区)からは山道を行き来していた。電気は昭和25年くらい。水道は昭和3年と大津市に次いで早かった(彦根市よりも早い)。保月の出身者が水道関係に関わっていたかららしい。電話は昭和16年くらい。空襲警報を伝達する目的が絡んでいたのではないか。
神社は八幡神社、寺院は照西寺(しょうさいじ)。
集落全体に荒れた印象はなく、残った家屋は手入れがなされている。かつての住民の集落への愛着が窺える。なお古い地図に見られる役場の場所と教えていただいた役場跡(写真4)の場所は異なる。古い地図では集落の東端に役場の記号がある。
以下は町史と資料『脇ヶ畑史話』より脇ヶ畑小学校の変遷
明治16.4.5 |
晩成学校を設立(学区は保月・杉・五僧) |
明治19 |
簡易科保月小学校となる |
明治25.4.1 |
脇ヶ畑尋常小学校となる |
明治39.8.1 |
杉に分教場を設置(同45.3.31廃止) |
大正15.4.1 |
脇ヶ畑尋常高等小学校となる |
昭和16.4.1 |
脇ヶ畑国民学校となる |
昭和22 |
脇ヶ畑小学校となる |
昭和44.3 |
休校 |
以下は『脇ヶ畑史話』より脇ヶ畑中学校の変遷
昭和22.4.20 |
脇ヶ畑村立中学校創立 |
昭和23.8.24 |
犬上東中学校脇ヶ畑分校となる |
昭和30.4.1 |
多賀町立中学校脇ヶ畑分校となる |
昭和44.3 |
閉鎖。生徒は多賀中学校へ |
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