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◆武奈(ぶな)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「彦根東部」(昭和26.9)を使用したものである

所在:彦根市武奈町(ぶなちょう)
地形図:彦根東部/彦根東部
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約480m
訪問:2008年7月

 

 市北東部の山中にある。彦根市に属するが、多賀町を流れる芹(せり)川の流域になり男鬼・武奈はその水源にあたる。
 近世の坂田郡武奈村。明治22年に鳥居本(とりいもと)村の大字となる。昭和27年、鳥居本村は彦根市に編入、大字武奈町となった。
 訪れてしばらくすると、かつての住民の方が用事で訪れてきたので話を伺った。以下はその概要

子供のころ(この方は昭和14年生まれ)には家が18軒あった。昭和50年くらいに集団で離村する家が増えた。このころ市街地の団地で、優先的に分譲されたという。ほか彦根・米原に出る家が多かった。
生業は林業・炭焼き。農業はごく一部で、自給用のため。現在炭焼きの雑木林の跡地で、シイタケを栽培している人もいる。
電気は大正末期から昭和1桁くらいのころに通った。多賀町に電気が通ってからすぐのことだった。
小学校は
明幸の分校に通っていたが、中学校は鳥居本まで通った。親戚の家に下宿するなどしていたが、男子は冬季以外に自宅から通学していた。
車道は早くから通っていたが、鋪装は昭和35、6年ころ。
寺院は厳因寺(ごんいんじ)(写真3)、神社は若宮(わかみや)神社(写真4)。
名字は山口(やまぐち)姓が3軒あったが、他はばらばら。ほか清長(きよなが)姓など。

 集落は山峡の小平地にある。上流からのアクセスが一般的で鋪装がされている。下流からの道は山道。大字仏生寺町(ぶっしょうじちょう)と男鬼町の境界の峠を越え、男鬼・武奈に向けて次第に標高が下がっていく。
 家々がいくつか残るが、寺院が手入れされているほかは簡単に手入れをしている程度。集落内には植林が施されていないので、山の圧迫感があるものの明るい印象がある。

 


写真1 集落風景


写真2 家屋


写真3 屋敷跡

写真4 廃屋

写真5 神社

写真6 寺院

 

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