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◆辰之戸(たつのど/タツンド)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「満島」(昭和21.12)を使用したものである

所在:浜松市天竜区水窪町奥領家(みさくぼちょうおくりょうけ)
地形図:水窪湖/満島
形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約890m
訪問:2013年11月

 

 大字奥領家の北部、翁(おきな)川の上流右岸にある。長野の南信濃村【現・飯田市】と境をなす青崩(あおくずれ)峠の南方約1km。
 町史によると、
もと13軒。集落は信州街道沿いで、道路や鉄道(三信(さんしん)鉄道。JR飯田線の前身)が整備されるまで長い間遠州と信州を結ぶ大動脈であった。旅人や馬方、駄賃背負(だちんしょい)の休み場として賑わったが、昭和41年無人化

 
最近の地図では集落の手前に2箇所の神社があるが、このうち上流側は足神(あしがみ)神社(写真3)。健脚祈願や無病息災に御利益があり、参拝者も多いよう。なお集落に至るまでの沿道には地蔵などがあり、一つ一つに説明がなされている(写真1・2・4)。
 集落に到着すると当地の由来等を記す立て札が置かれ(写真5)、この付近に屋敷跡が1箇所。山林内は緩い傾斜地になっており、この中にもう1箇所の屋敷跡が見られた。さらに上流に進み、分岐する作業道(車道)を少し登ったところに小屋が設けられていたが、かつての宅地だろうか(写真13)。
 
以下は現地の説明板の全文(「秋葉街道・信遠ネットみさくぼの会」による)。


 辰之戸(たつんど)集落跡

「辰」とは十二支の方角では北辰・辰極など北を指し「戸」は渡ることを言います。このことから此処の地名は北へ渡る場所として「辰之戸」と呼ばれたのでしょうか。遠州、信州国境水窪最深部に位置する集落として昭和時代まで数軒の民家が存在しました。江戸時代秋葉神社参拝者の安全と国境の安全を守るために代官所から「十手」を託された村人もいたようです。

 


写真1 「さば地蔵」


写真2 「やまめ地蔵」


写真3 神社


写真4 「しっぺい太郎の墓」


写真5 集落入口


写真6 屋敷跡


写真7 石仏


写真8 農地跡?の石積み


写真9 水槽と屋敷跡(奥)


写真10 ?


写真11 辰之戸橋


写真12 木地屋の墓


写真13 屋敷跡?にある小屋

 

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