戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆白神(しらなみ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「水窪」(昭和23.12)を使用したものである

所在:浜松市天竜区水窪町奥領家(みさくぼちょうおくりょうけ)
地形図:佐久間/佐久間
形態:?
離村の背景:ダム建設?
標高:?(水面は約240m)
訪問:2011年5月

 

 大字奥領家の西部、天竜(てんりゅう)川左岸にある。飯田(いいだ)線の白神駅があったが、現在駅舎は佐久間ダムの人造湖(佐久間湖)に水没。駅名は「しらなみ」であり、古い地図の「しらかみ」は誤植と思われる。駅は隣接する愛知県富山村【現・豊根村富山】の山中地区の玄関口でもあった。
 資料『飯田線の60年』によると、水没に伴い豊根口・天竜山室とともに昭和30年11月11日に廃止されたとのこと。

 なお町史には、当地の通学事情についての記述がある。
 明治25年2月当時の通学区は芋堀(いもほり) の分校であったが、同年3月からは水窪小学校へ通うことになった。しかし遠隔地であったため通学は困難で、夏焼地区などとともに就学猶予願いが出されたという(就学免除地の申請は却下された)。明治40年、夏焼に家庭教授所が設置。白神に他地域から炭焼きや山林関係の労働者が多く移住してきてからは、白神の知久家を借用し教育が行われた。
 昭和9年頃から三信鉄道の工事が始まり児童が増加したため、同11年度・12年度限定で夏焼に仮用分教場を設置。廃止後の昭和12年4月からは、集落前の白山橋を渡り対岸の愛知県富山村【現・豊根村】、大谷尋常小学校山中分校へ通学。昭和14年から水没までは、鉄道により佐久間村(後の佐久間町)の中部小学校へ委託通学となった。

 


(写真1 佐久間ダム)

写真2 地名表記付近(写真中央)

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ