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◆西の窪(にしのくぼ?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を使用したものである

所在:大町市八坂(やさか)
地形図:日名/大町
形態:山中に家屋が集まる
標高:約780m
訪問:2025年11月

 

 旧八坂村の中部北寄り、金熊(かなくま)川右岸側の山中にある。

 村誌によると、昭和56年に集落移転事業により、当時の2戸9人が梨平(なしだいら)へ移転したとのこと。屋号に、もこう・しも・わで・となり・わかた があった。
 産土神は飯綱神社で、西の窪2戸・
長畑1戸・桑梨8戸で祀っていた。集落北西の山上にあり、祭神は宇賀霊神(稲倉魂命)。「医王惣社飯綱宮」とも称する。
 集落内には白山社がある。かつては集落の5戸で祀っていたが、昭和40年代から移住が進み現在は氏子1人(刊行は平成5年)。
 集落の上の山中には戸隠権現社がある。
 西の窪・
荻の間の稜線上にはあずまや神社があり、西の窪・長畑・荻で祀っていた。これはかつて近隣で伝染病が流行したとき、地域が無事であるように願って祀られたものといわれる。
 西の窪・桑梨の間の峰には、天保10(1839)年に造られた弘法大師の像が安置されている。

 長畑の上の峰には、西の窪・長畑で祀る虚空蔵菩薩がある。

 訪問は桑梨より。現在でも道は明瞭で、徒歩による通行に支障はない。道中、先述の弘法大師像や飯綱神社を見ることができたが、戸隠権現社は未確認、あずまや神社は未訪問。
 集落では上部に2戸の家屋が見られ、うち1戸のそばには墓地もある(高橋氏)。家屋群から南下した山側にもまとまった墓地(越山氏)があり、この付近にも宅地があったと思われる。なお1960年代の航空写真でも2戸しか確認できず、他の3戸は比較的早く離村したよう。南東の尾根上にも墓地があり、この中には「筆塚」と記された石塔や球状の石が見られた。白山社は未確認。
 なお旧版地形図に記されている神社は飯綱神社。

 


(写真1 道中の弘法大師像〔左〕と石塔〔大日如来/馬頭観世音〕)

(写真2 飯綱神社参道の常夜灯〔1対のうちの右側〕)

(写真3 飯綱神社。拝殿)

(写真4 境内の石像。村誌および
裏山の探検隊氏の情報によると、役行者の像であるよう)

(写真5 路傍の石造物)

写真6 集落入口の道祖神

写真7 家屋

写真8 半壊家屋

写真9 写真8そばの墓地

写真10 墓地

写真11 墓地。左の石塔には「忠孝開産 筆塚」とある

写真12 球状の石。村誌によると五輪塔であるよう(上部が欠損)

 

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