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◆真木(まき)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「白馬嶽」(昭和23.7)を使用したものである

所在:小谷村千国(ちくに)
地形図:雨中/白馬岳
形態:沢沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約900〜950m
訪問:2025年11月

 

 横根(よこね)沢の上流にある。古い地図では10軒くらいの建物と水田の記号が見られ、うち1軒は学校。道は、現在の南小谷小学校付近から入り尾根を越えるもののほか、北側、南側の斜面からも道がつながっていた。
 現在は集落跡を利用した「真木共働学舎」があり、地元の方の話では経営者がバイクで往復しているという。集落への入口には新聞受けが立っている(2008年)。

 村誌によると、昭和46年12戸。昭和47年12月全戸転出。平成4年1戸9人(共同学舎)。
 共働学舎は、両親が小谷村出身であった宮嶋氏(※1)が昭和48年に創設。まず村内立屋、のち真木に学舎を設け、共同の自活を目指している。のち北海道・九州・東京にも開設されている。
 以下は当地にあった南小谷小学校真木分校の主な沿革。

 明治15  (安道にて千国学校の派出所開設〔安道派出所〕
 明治18?  移転。千国中等小学校真木派出所となる(※2)
 明治19  真木簡易小学校となる
 明治24  千国尋常小学校真木分教場となる
 明治30  南小谷尋常小学校の分教場となる
 昭和16  南小谷国民学校真木分校となる
 昭和22  南小谷小学校真木分校となる
 昭和43  閉校

※1 本文では宮島氏となっているが、公式サイトの表記に倣った
※2 本文では明治19年、図では明治18年となっている

 資料『小谷民俗誌』によると、古くから12戸で、それ以上の戸数となることを控えていたという。しかし昭和37年に1戸、39年に1戸、44年に1戸、45年に1戸、46年に4戸が転出。残った4戸も昭和47年に転出した。

 2008年、集落への入口を見たのみであったが、2025年訪問。
 現地への道は、峠越えの後に横根沢を渡り、また斜面を登るという長いもの。ただし2箇所目の峠までは軽自動車が通れるほどの整備がなされている。往路にてバイクで集落に向かう住民にお会いしたが、峠より先は総じて隘路で、また所々急斜面や崖に面した部分もあり、往来は常に危険と隣り合わせであることが窺える。
 集落には往時からの民家や付属建物が多く残り、農地も広く耕作されている。またヤギや鶏といった家畜・家禽も飼われている。
 住民の話によると、集落では春から初冬にかけて居住し、冬期は別の拠点に移って暮らしているとのこと。1棟の古民家(屋号・新屋敷(あらやしき))に共同で生活し、現在は4名程度で集落を維持している。家屋は4軒あり居住や訪問者の滞在に使われているが、1軒は最近潰れてしまい修繕中。
 話を伺ったのち学校跡にも案内していただき、その跡地を確認した。

 


(写真1 集落への登り口。左の看板には「真木へ90分」とある)

(写真2 道中の石仏)

(写真3 道中の峠。左の看板には「四ツ辻」とあり、かつては坊屋敷への道も分岐。車道はここまで)

(写真4 道中の大日如来。「大正十四年」とある)

写真5 集落入口の墓地

写真6 田

写真7 集落風景

写真8 家屋(新屋敷)。共同生活の拠点

写真9 家屋

写真10 半壊家屋(修繕中)

写真11 蔵

写真12 家屋と畑

写真13 家屋

写真14 学校跡

 

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