戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆日向入(ひなたいり



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高遠」(昭和33.12)を使用したものである

所在:箕輪町東箕輪(ひがしみのわ)
地形図:辰野/高遠
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約720m(水面は約850m)
訪問:2013年11月

 

 大字南箕輪の中部、沢川(天竜(てんりゅう)川支流)沿いにある。現在は箕輪ダムの人造湖(もみじ湖)に水没。
 下流側は完全に水没しており、往時の痕跡は皆無。湖岸には移設した神社や「山紫水明」と刻まれた移転の記念碑(写真3)が置かれている。庚申塔には「由来」が記されており、元々は一の沢川との合流部にあった長岡新田公民館に置かれていたとのこと。
 以下は記念碑の全文。


 由来

 古くから田無川とも呼ばれた沢川は その源を守屋山に発し 母なる川として昔から地域の人々の暮らしをささえ親しまれてきた この川は 人々の生活用水 かんがい用水として必要不可欠な川でありまたときには大きな水害を引き起こし下流の人々を苦しめたこともあった このため長野県は 天竜川流域の災害の防止と伊那谷の人々の暮らしの水を将来にわたって確保するため この地に箕輪ダムを建設した
 ダム建設によって 湖底に沈むこととなった長岡新田三十七世帯の人々はやむなく先祖伝来の土地を離れ 村落三百五十有余年の歴史を閉じることとなった また古来からこの水を村落の生命線として利用してきた下流の長岡区 南小河内区 北小河内区からは沢川の水利用に対する大きな理解と協力があったことを忘れてはならない
 ここに伊那谷を永遠にうるおす箕輪ダムのしゅん工を機に 関係地権者名並びに下流三区名を銘記し建立する
 沢川の水
  伊那の谷を永遠にうるおす


 なお「長岡新田地権者」として以下の37名が挙げられているが、本文中の「三十七世帯」と数が一致しており往時の住民と思われる(50音順。日向入・末広日影入が含まれている。このうち日影入は該当ページを参照)

伊在丸・柴2名・清水2名・関・戸田10名・永井・中林・藤沢5名・渕井・丸山2名・向山5名・山口6名

 HEYANEKO氏によると、地内には東箕輪小学校長岡新田分校があり昭和40年閉校とのこと。

 


写真1 箕輪ダム堰堤


写真2 湖面

写真3 碑

写真4 庚申塚

写真5 神社

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ