◆高須辺(こうすべ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「白馬嶽」(昭和23.7)を使用したものである
所在:長野市鬼無里
地形図:塩島/白馬岳
異表記:高次辺(旧版地形図)
形態:山中に家屋が集まる
標高:1,050〜1,100m
訪問:2008年5月
傘のさらに奥にある。古い地図では2軒くらいの建物と水田が見られる。
傘で会った方の話では、家は5、6軒。大日向(おびなた)姓・堀米(ほりごめ)姓・徳光(とくみつ)姓など。電気は通っておらず、離村までランプで暮らしていたそう。詳しい離村時期は分からないが、戦時中はまだ人が暮らしていた。
現地は緩やかな斜面で、植林された農地跡が広がる。屋敷跡は分からなかったが、北端には何かの敷地(寺社関係?)があり、「萬靈供養塔」と刻まれた碑が建つ(昭和42年高田氏による建立)(写真2)。「明治十三年」「慶應三年」といった文字や、戒名が見られる。また農地の中にも、古い墓石を見ることができた(写真3)。
ウェブサイト「長野市そば歳時記」によると、高須辺は鬼無里そばの元となった地。江戸時代、松代藩は代々高須辺そばを年貢として上納させていたそう。(ただし話を伺った方が暮らしていたころには、既にそばは作られていなかった)
大正3年に3世帯14人。
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