◆砂古谷(すなこや)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「飯田」(昭和27.7)を使用したものである
所在:飯田市上飯田(かみいいだ)
地形図:飯田/飯田 安平路山/飯田 兀岳/妻籠
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約1,150m
訪問:2013年11月
大字上飯田の中部、西俣(にしまた)川支流の砂古谷沢沿いにある。
谷沿いには段々になった土地が続き、もっとも下のものにははっきりとした遺構も確認できる。また「白衣觀世音」と記された碑と大山祇命(ただし表記は「大山祗命」)の碑も確認。
須官にある記念碑(写真7)のひとつに砂古谷を記したものがあり、これによると明治6年3月に官許を取得、同時に開墾に着手したことが分かる(ただし後述の資料では明治2年)。「砂古谷開墾之祖」として、塚原源八氏の名が刻まれている。 資料『失われた村の生活』によると、神社は諏訪神社。明治2年、松川入地区の最初期の開拓者として塚原氏が定住したとのこと(同時に須官に野口氏、入道に小林氏が入植)。また砂古谷沢は台風や梅雨の時には洪水になりやすく、入植以来はしばしば水害に悩まされている。ことに昭和40年7月の水害は、松川入地区に集団移転を決意させるきっかけとなった。
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