◆一本松(いっぽんまつ)
所在:勝山市(大字なし)
旧勝山町の東部、浄土寺(じょうどじ)川の流域にある。 この土地の住民は、牛首村【のち白峰村、現・白山市】の出身で、長年に亘り出作りをし、やがて住み着いたものと思われる
分校は、設立当時「坂の上」(スキャン画像の位置)に位置した。校区は一本松・暮見谷。暮見谷からの通学は非常に不便であったため、大正15年12月暮見谷に冬季仮分教場設置を設置した。芳野ヶ原の開拓が始まると、開拓地の児童が当校に通学するようになる。暮見谷もすでに無住となっており、昭和26年「板取の小端(いたどりのこば)」(芳野ヶ原から浄土寺川に降りた場所)に校舎移転。芳野ヶ原の児童の通学の便宜を図ったもの。昭和46年11月、芳野ヶ原に成器南小学校芳野原分校が開校し、一本松分校が引き継がれた 訪問は、浄土寺川沿いと旧校地のある尾根上。川沿いでは後年の校地と思われる場所の付近で遺構が見られ、そばには小さな社が見られた(写真2)。ほか、少し上流に管理された家屋と畑がある。ここで車道が分岐しており、旧道は直進。右折すると尾根上まで状態の良い道が続く。旧道では支流を渡る橋が朽ちているが、さらに別の荒れた道が新道に合流している。尾根上はほとんどが植林地で、なだらかな斜面に段々になった土地が広がっている。建物は基礎も確認できなかったが、小さな小屋が1軒見られた(写真12)。
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写真1 学校跡付近?にて(以下川沿い) |
写真2 社 |
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写真3 家屋 |
写真4 石仏 |
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写真5 集落内の道(以下尾根上) |
写真6 平坦地 |
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写真7 碍子 |
写真8 農地跡 |
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写真9 石仏 |
写真10 開けた平坦地 |
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写真11 農地跡 |
写真12 小屋 |