◆山中(やまなか)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「今庄」(昭和21.10)を使用したものである
所在:南越前町山中
地形図:河野/今庄
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約300m
訪問:2012年11月
町の西部、鹿蒜(かひる)川の最上流部にある。敦賀市との境界付近。
大字としての山中は、近世の南条郡山中村。明治22年鹿蒜村(のち今庄村→今庄町)の大字となる(角川)。
集落では、小さな川の両岸に沿って家屋や農地が並んでいたよう。川沿いに道が通じている。所々に墓が立っており、廃屋が1棟(写真8)。神社跡と思われる場所も左岸で確認できる(写真10)。山中隧道を含む現在の県道は、旧北陸線の路線跡(※)。山中信号所(スイッチバックに用いられていた)の付近の道路沿いには説明板があり、付近が急勾配の難所であったことが窺える。
町誌および「角川」によると、江戸中期の最盛期には30戸。昭和53年5月に無人となった。木地師が定着した集落か。後年では、田畑・炭焼きのほか、若い人では鉄道に勤める者もあったという。また山中峠は古くは北陸道(帰山路)として利用されたが、天長7(830)年に板取経由の木ノ芽(きのめ)峠が開通。北陸道がこちらに移っったため(西近江路)、往来は少なくなった。神社は日吉神社で、寺院は総願寺(浄土真宗)。貞享2(1685)年道場(寺号のない仏教施設)として創立し、明治12年正式に寺院となった。過疎化により廃止。
以下は戸数と人口の推移(昭和10年・30年は「角川」より)。
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明治6 |
明治12 |
明治21 |
明治30 |
大正9 |
昭和10 |
昭和30 |
昭和40 |
昭和50 |
戸数 |
12 |
15 |
17 |
16 |
17 |
12 |
11 |
3 |
1 |
人口 |
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87 |
109 |
75 |
78 |
63 |
40 |
5 |
1 |
なお町誌の住宅地図には、柴田3・新海・代名・高山・中野各1の計7戸が記載されている。
※ 明治29年開通。昭和37年北陸トンネル開通により路線廃止
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