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◆二ッ屋(ふたつや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「冠山」(昭和26.3)を使用したものである

所在:南越前町広野(ひろの)
地形図:広野/冠山
形態:川の合流部に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約300m(水面は約320m)
訪問:2012年11月

 

 大字広野の中部、日野(ひの)川沿いにある。現在は広野ダムの人造湖に水没。
 町誌によると、広野の枝村。ただし広野本村とは血縁のつながりはない。集落の発祥は平家の落人と伝わる。美濃国境を越えて落ち延びた郎党が広野の庄屋の元ににたどり着き、奥地に隠棲することを勧められる。現在の二ッ屋の奥に居を構えた(今でもそこを「ヤシキ」と呼ぶ)が、享保年間にその末裔が雪崩の下敷きになり、生き残った子供2人が広野で養育される。成長した子は集落を再興し、美濃を越えて来た木地師2軒とともに7軒が復興した。大河内岩谷が先行して木地集落を形成していたが、これに倣い焼畑の傍ら木地業を営むようになった。集落は広野ダム(昭和46年着工・同51年竣工)建設に伴い、昭和46年12月全戸離村。
 なお同書の住宅地図には以下の5戸が記載されている。

番号 転出先
1 川西 鯖江市
2
3 町内
4 鯖江市
5 千田 鯖江市
6 川湊(※) 武生市【現・越前市】
7 (※) 鯖江市

 湖畔には「ふるさとの碑」(写真4)と共同墓碑(写真5)が建ち、集落の在りし日をを偲ぶことができる。以下は碑の全文。

 わが ふるさとは地味肥沃 四季の風清に富み 天恵豊かにして 民情もまたこまやかで 相互隣保の平和郷として今日に至つた しかるにこのたび 福井県日野川総合開発事業により この地に広野ダムを建設して 下流の災禍を未然に防止し民生の安定と地域の振興発展に資するところとなり 我が広野二ツ屋部落は八百年の歴史を閉じて 住みなれた土地を離れる運命となつた 我々はここに愛惜切なるものを感じ この地に記念碑を建立して 当時の在住者 世帯主 の名を列記し 何時までも故郷を偲ぶよすがとしたい

※ 「川港」の表記も混在しており、真相は不明。「川湊」…町誌住宅地図・ふるさとの碑 「川港」…町誌本文(個人名)・共同墓碑

 


写真1 ダム堰堤

写真2 二ッ屋橋

写真3 農地跡

写真4 ふるさとの碑

写真5 共同墓碑。「南無阿弥陀佛」とある

 

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