◆楢俣(ならまた)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「冠山」(昭和26.3)を使用したものである
所在:池田町楢俣
地形図:冠山/冠山
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約380m
訪問:2012年11月
町の南部、楢俣川沿いにある。
町史によると、もと河内(こうち)の枝村。耕地が狭小であるため、焼畑農業が盛んに行われたという。神社は神明神社。安政2(1855)年10戸65人、明治6年9戸61人、昭和4年9戸54人、同41人0。同書記載の「要図」には村中2・田中・谷口各1の計4戸が記載されている。
日没間近であったため道路沿いのみの探索であったが、数棟の新しく簡素な家屋が建てられており、かつての住民が度々訪れていることが窺える。なお神社は左岸山中にあり未確認であるが、最近の地図でも記号が記されている。
なお大字楢俣は近世の今立郡楢俣村。明治22年上池田村(のち池田村→池田町)の大字となる。昭和41年より無住となる(角川)。
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