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◆稗田(ひえだ)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「大野」(昭和22.2)を使用したものである

所在:池田町東稗田
地形図:宝慶寺/大野
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:豪雪?
標高:約450m
訪問:2012年11月

 

 町の北東部、稗田川沿いにある。
 町史によると、明治6年9戸43人、昭和35年3戸17人、同39年無住となる。同書の「要図」には、井口・岩本・山下の3戸が記載されている。ほか明治期に黒木・湯尾・湯口・佐々木・道久・滝尾といった家も存在していた。農業や古くは木地挽や養蚕で暮らしていたが、谷沿いの水田では稲の生育は思わしくなかったという。氏神は白山神社。
 現在、集落には「稗田の里公園」(井口家跡付近?)(写真1)があるほか、神社跡付近には石仏や句碑などが集められており、集落はちょっとした憩いの場になっている。ここにある「耳岩菩薩」は、耳の病に霊験灼かなもの。
 以下は現地の碑(写真4)より一部引用。

 いまは昔 この地を今立郡下池田村稗田と称した。明治時代の後期には九戸五十名の居住者が生活を営む自然豊かで静かな山間地であった。社会や生活環境の変化と交通の不便さから離村するものがあり、昭和三二年には完全な無人となった(※)が、人々は各戸の住居跡地に杉苗木を植樹し、この地を去っていった。ときは過ぎ、植樹した杉や草木は大きくなり以前の面影もなく荒れに荒れて耳地蔵の堂も朽ち果てた。真摯に生きた先祖の恩に感謝することが我が身の宿命と思い、昭和五十五年より平成二十二年にかけて私財を投じ公園として整備したものである。
 …(以下略)

 神社跡の少し上流側には墓と小屋があるが、屋敷跡(山下家?)だろう(写真5)。
 なお大字稗田は近世の今立郡稗田村。明治22年下池田村(のち池田村→池田町)の大字となる。昭和38年の豪雪により、翌39年から無住となる(角川)。

※ 町史および「角川」とは齟齬がある

 


写真1 公園

写真2 灯籠(左奥は耳岩菩薩)

写真3 石仏

写真4 碑など

写真5 墓

 

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