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◆古鹿熊(ふるかくま)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「魚津」(昭和37.10)を使用したものである

所在:魚津市古鹿熊
地形図:越中大浦/魚津
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約320m
訪問:2011年6月

 

 大字古鹿熊の中部、角(かど)川の上流部にある
 集落の入口付近には2基の石碑があり、それぞれ道路功績者・戦歿者のもの(いずれも川平姓)(写真1)。学校跡には「古鹿熊ふるさと会館」と東屋が建ち、関係者が時おり集っているよう(後述)。村社の春日社(写真4)・曹洞宗神宮寺跡地(写真5)も確認。寺院跡には多数の墓石があるが、改葬され移転時期と移転先が記されたものも多い。現在建っているのは仏堂だが、像(十一面観世音菩薩像。県指定文化財)は離村の際に歴史民俗博物館に移された(説明板より)。
 資料『村の記憶』によると、無人化は昭和47年。高度成長期の頃に現金収入を求め市内や滑川市などへの移住が増え始める。残った11戸も市の離村の勧奨に応じ、昭和47年7月、市内弥源寺(やげんじ)・川原(かわら)に亘る地域へ
集団移転した。明治34年松倉(まつくら)小学校の常設分教場(※)設置。土地は肥沃で洪水もなかったため、食料は豊富であったという。くず粉も特産し、炭焼きの仕事も併せ経済的には豊かだった。昭和60年には「古鹿熊を守る会」が発足し、毎年のお盆前後に学校跡で行事を行っている。離村前の住民の姓と戸数は、川平家10・谷山家5・飛騨家5・小山家2・吉崎家2・金子家・黒田家・村口家各1(昭和35年頃か)。

※ 松倉小学校古鹿熊分校。昭和47年閉校(HEYANEKO氏調査)。校区は古鹿熊・池ノ原春日(市史)

 


写真1 碑

写真2 屋敷跡

写真3 学校跡。奥は「古鹿熊ふるさと会館」

写真4 神社

写真5 寺院跡

写真6 碑と石仏

 

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