◆泊里(とまり) 所在:横須賀市泊町(とまりちょう)
現在の泊町の中部南東寄りにあった集落。 市史および市のウェブサイトによると、慶応元(1885)年に現在の稲岡町(いなおかちょう)・楠ヶ浦町・本町(ほんちょう)一帯に製鉄所(後の横須賀造船所)が建設されたことにより、横須賀港の歴史が始まったとのこと。明治17年(1884年)に鎮守府(日本海軍の拠点)が設置されて以降は、明治36年に横須賀海軍造船所が横須賀海軍工廠となるなど軍港として発展を遂げた。昭和20年9月2日、米軍により接収。戦後は米海軍基地の一部となり、基地の整備が進むにつれ、関係者の居住エリアとなって宅地化が進行した。 市史より、当地に関連のあった施設を以下に挙げる。 ・横須賀鎮守府(稲岡町・泊町) ・海軍砲術学校(泊町) ・海軍航海学校(稲岡町・泊町) 市のウェブサイトより、地内で海上自衛隊が米軍と共同使用している施設には横須賀消磁所(旧海軍工廠に所在)・磁気測定所・横須賀造修補給所観測器材整備場があることが分かる。 文献『横須賀案内記』には、当地に関する記述として「勝力(かちりき)崎と霧(きり)ヶ崎(※1)とが抱ける小灣を泊里港と稱す。大舶を容る〓(※2)に足らずと雖、天然の良港にして、昔時は漁船の出入輻輳せしが如し。今は海軍省所屬地なるを以て、一般船舶の出入碇泊を許さず」や、「明治十三年泊里邊一帶の地官有となり、泊里の人は全部他に移轉したり」といったものが見られる。 ※1 埋め立て前の半島の東端が勝力崎、その南東が霧ヶ崎 資料『現代の横須賀』には、「勝力の鼻の彎曲して小灣を築いて居る所をいふので漁戸十二戸あつた」との記述がある。 「角川」によると、集落には八幡社・曹渓寺があったとのこと。
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(写真1 三笠公園より集落跡方面を望む。対岸の住所は泊町〔撮影地点よりおよそ650m先〕) |
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