◆本蓼川(ほんたてかわ)
所在:綾瀬市本蓼川字宮ノ越(みやのこし)・新道(しんみち)・稲荷山(いなりやま)ほか
大字本蓼川の中部、蓼(たて)川(引地(ひきじ)川支流)の左岸側にある。 資料『蓼川・本蓼川の民俗』によると、蓼川地区に海軍航空隊の基地が建設されることになり、北側の上庭場(かみにわば)が移転を余儀なくされ昭和16年から19年にかけて転出、のち昭和38年度には基地に発着する飛行機の騒音や事故の危険を回避するために、残る下庭場(しもにわば)の全戸が移転したとのこと。 ※ 撚糸業のことか 綾瀬・大和各市のウェブサイトによると、厚木基地は昭和13年に旧日本海軍が航空基地として定めたことから始まり、昭和16年より建設が開始され運用が始まったとのこと。終戦後の昭和20年9月2日、米軍に接収される。昭和46年、基地の一部が海上自衛隊に移管され、米海軍は「厚木航空施設」として、また、海上自衛隊は「厚木航空基地」として、日米共同の管理体制となった。 「角川」によると、大字本蓼川は近世の高座郡本蓼川村。明治22年綾瀬村(のち綾瀬町→綾瀬市)の大字となる(飛び地は渋谷村〔現在の大和市〕の大字となった)。明治18年30戸、同24年27戸197人、昭和29年21戸154人、同56年11戸24人。 現在上庭場の集落跡は、ほとんどが山林および太陽光パネルの用地となっている。基地脇に作られた道路に沿って作業場や畜舎などが見られるが、かつての宅地とはほとんど重ならないと思われる。先の資料では山神社近くの石造物は今も同じ位置にあると記されているが、これは未確認。
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≪上庭場≫ | |
写真1 対岸より集落跡を望む |
写真2 道路沿いの風景 |
写真3 同。建物群は対岸(深谷)のもの |
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≪下庭場≫ | |
写真4 本蓼川バス停 |
写真5 屋敷跡付近? |
写真6 同? |
写真7 蓼川に架かる立川橋 |
写真8 集落跡の風景 |
写真9 集落跡を南端付近より望む |