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◆羽田鈴木町(はねだ すずきちょう)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/25,000地形図「穴守」(大正14.6)を使用したものである

所在:大田区羽田空港(はねだくうこう)一丁目・同二丁目
地形図:東京国際空港/東京東南部
形態:島状の干拓地に家屋や施設が多数集まる
離村の背景:進駐軍による接収
標高:数m
訪問:2011年9月

 

 現在の東京国際空港(通称羽田空港)敷地内にあった町。町域は荏原製作所の対岸付近から東京電力の空港変電所付近に亘ってL字型に広がっていた。なおL字の右上は羽田穴守町
 資料の付図には、羽田第三小学校(※1)・青年学校・明電舎・荏原製作所や明電舎の社宅・寮などが記載され、数多くの人家が集まっている。稲荷橋を渡った大通りには、銭湯や様々な商店が並び、かつての賑わいを窺わせる。
神社(記号があるもの)には「弁天社」「鈴納稲荷」があり、「水神様」や「お稲荷様」といったものも見られる。また東西に鉄道(※2)が走り、終点の穴守駅も鈴木町内。平成11年まで旧空港ターミナル駐車場に残されていた鳥居は、この駅前にあったもの。現在は羽田六丁目の弁天橋付近に移設されている。

※1 大正15年、羽田小学校の分校として開校。昭和2年独立。同昭和20年9月、鈴木町ほかがGHQに接収されたことに伴い、同21年羽田小学校に統合
※2 京浜電車(のちの京浜急行)の穴守線。明治35年稲荷橋(現在の穴守稲荷(あなもりいなり)駅)まで開通。大正2年神社前まで開通し、穴守駅が開業

 なお「羽田鈴木町」は昭和7年から42年までの町名。もと荏原(えばら)郡羽田町大字鈴木新田(すずきしんでん)のうち。昭和42年5月1日、羽田空港一丁目および二丁目となる(角川)。

 


写真1 海老取川と穴守橋


写真2 天空橋駅(東京モノレール)


写真3 天空橋駅(京浜急行)

 

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