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◆羽田穴守町(はねだ あなもりちょう)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/25,000地形図「穴守」(大正14.6)を使用したものである

所在:大田区羽田空港(はねだくうこう)二丁目
地形図:東京国際空港/東京東南部
形態:島状の干拓地に家屋や施設が多数集まる
離村の背景:進駐軍による接収
標高:数m
訪問:2011年9月

 

 現在の東京国際空港(通称羽田空港)敷地内にあった町。町域はB滑走路の南端付近。
 資料の付図には、穴守稲荷とその参道をはじめ、郵便局や明電舎の社宅などが記載され数多くの人家が集まっている。特に参道付近には料亭や土産物屋など多種多様な商店が並び、かつての賑わいを窺わせる。家や商店は町南半分に集中し、北半分は自転車競走場跡・オートバイ競争場跡・プール跡など閑散としている。東部の海岸は広く海水浴場。
 以下は資料より当地にあった穴守稲荷についての記述。


 天明年間(1780年代頃)、羽田猟師町(はねだりょうしまち)の名主、鈴木弥五右衛門が海岸の開墾を開始。文化12(1815)年に事業が完成し、鈴木氏はこの地を守護する目的で堤防上に小社を祀った。
 天保初め、あるいは文政末(1800年代後半)、暴風雨・高波により堤防に穴が生じ海水が浸入したため、鈴木弥五右衛門や農民らは新田を守るために必死にこれを塞ごうとした。奇跡的に危機を免れたが、誰が言うでもなく稲荷の守護によるものであると言われるようになる。のちに「穴守稲荷」と呼ばれるようになる。

※ 勧請の時期・経緯には諸説ある。


 明治18年11月26日、穴守稲荷は鈴木家の屋敷神から正式の神社に昇格、公衆参拝地となる。翌年には萱葺の社殿を建てて堤防下の広大な土地に移る。
 そもそも新田の守護・海上の安全を願って建てられたものが、豊漁や商売繁盛の参拝地となる。またその名称から花柳界の信仰も得ていたという。付近は景勝地であることや潮干狩り・海水浴と言ったレジャー的要素もあり、さらに明治27年鉱泉が湧出したことなどによりますます栄え、
東京の一大保養地・観光地として栄えることになる。
 明治35年に稲荷橋まで開通した京浜電車(のちの京浜急行)の穴守線は大正2年神社前まで開通し、さらなる賑わいを見せる。しかし戦争に伴い神社も現在地に移転することとなった。その際鳥居が1基のみ残され、平成11年に移転されるまで駐車場の一角に立ち続けた。
 旧ターミナルビルは穴守稲荷の社殿跡近くに建てられ、その屋上に分社の祠が建てられた。同時に航空神社が新たに勧請され、その隣に祀られた。新しい空港ビル完成に伴い、分社は本宮へと合祀。隣に祀られていた航空神社はそのまま新ビルに移動することになった。
 以下は遷宮記念碑(写真4)に記された「穴守稲荷神社遷宮由来」の全文


 昭和二十年九月進駐軍による飛行場設営の爲遠く文化文政の昔より百数十年鎮座の地扇ヶ浦を疎開して暫く駐c神社境内に仮遷宮を余儀なくせられたる〓(※)崇敬者有志によりて穴守稲荷神社復興奉賛會の創立を見るに及び鋭意画策一致協力遂に稲荷橋畔に神域を卜して仮社殿を造営し昭和二十三年二月遷宮の式典を挙ぐること得たり
 爾来星霜茲に十年境内漸く神寂ひて参詣の信徒絶ゆる暇なく復興の機運将に熟すると到る神コの廣大無偏(表記ママ)なること炳として日星の如し崇ぶべし

 昭和三十二年丁酉二月

※ 〓はとらかんむりに匆。処(處)の異体字


 また以下は現在の大鳥居の前にある説明板より。


 この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。
 その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、
羽田鈴木町羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
 しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を語る唯一の建造物となりました。
 米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりました。
 昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。
 しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
 ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。


 なお「羽田穴守町」は昭和7年から42年までの町名。もと荏原(えばら)郡羽田町大字鈴木新田(すずきしんでん)のうち。昭和42年5月1日、羽田空港一丁目および二丁目となる(角川)。

 


(写真1 穴守稲荷駅の鳥居。羽田4丁目にて)


(写真2 現在の穴守稲荷。奥は拝殿。羽田5丁目にて)


(写真3 穴守稲荷・神楽殿)

(写真4 穴守稲荷・遷宮記念碑)

(写真5 穴守稲荷・奥の院)

(写真6 穴守稲荷・築山)

(写真7 穴守稲荷・築山にて。お稲荷さん)

(写真8 大鳥居。羽田5丁目にて)

 

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